芸術色彩研究会

芸術色彩研究会からのお知らせと記録 | 公式ウェブサイトgeishikiken.info |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (1)

pigment

 

トークイベント

「色彩と質感の地理学 −日本と画材をめぐって−」

 

日本の画材の魅力とは?

環境と知覚に基づいた、芸術と文化における色彩と質感の問題をさまざまな角度から考察します。

 

日時

2017年4月29日(土)14:00〜16:00
場所

画材ラボPIGMENT(東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F)
企画

中村 ケンゴ
主催

PIGMENT

登壇者
中村 ケンゴ(美術家)× 三木 学(文筆家、編集者、色彩研究者、ソフトウェアプランナー他)× 岩泉 慧(PIGMENTラボ所長、画材エキスパート、京都造形芸術大学 講師、美術家)


はじめに

 絵画は色彩だけではなく、質感も視覚心理に働きかける重要な要素です。特に日本は、西洋圏に比べて質感に関する感性が豊かな文化だと言われています。PIGMENT(ピグモン)の壁面に色鮮やかに並べられた主に日本画で使われている顔料は、もともと鉱物が原料になっています。そのため「岩絵具」と言われており、光輝性を持った独特な質感があります。こうした岩絵具をはじめ、和紙などの日本で使われてきた画材の魅力とは何でしょうか? そして現代芸術においてどのような価値があるのでしょうか?
 
 美術大学や国内の美術業界における「日本画」の議論では、その特性について国際的な価値を説明するのが困難になっています。一方で、ニュートンから始まる近代の色彩理論だけでも、各地域で異なる色彩感覚や質感、配色体系についてすべてを論じることはできません。わたしたちは、環境、知覚、認知、言語の絶え間ないフィードバッグによって文化圏特有の「色彩感覚」「質感感覚」を醸成しており、画材にもそれは息づいています。
 
 今回のトークイベントでは、企画者の中村ケンゴを聞き手に、ソフト開発、デジタル技術を駆使しながらその謎に迫る色彩研究者、三木学を迎え、PIGMENTラボ所長であり、画材エキスパート岩泉慧の知見を仰ぎながら、文化を国境線で区切ることなく、地理的、風土的な意味での日本の画材に潜む色彩・質感感覚について考えます。また、美術の問題だけにとどまらず、近年の認知科学の発展に伴う自動車、化粧品、ファッションまでを射程に入れた色彩・質感研究の現在にも迫ります。素材と感性、両面からの普遍的な議論を通して、日本の画材を狭義の「日本画」から解放してこそ、その魅力を世界に向けて伝えることができるのではないでしょうか。


目次

 

 

 

登壇者の紹介/中村ケンゴによる問題提起 →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (2)

登壇者の紹介



pigment

 

中村:美術家の中村ケンゴと申します。よろしくお願いいたします。さて、我々の入場と共に不思議な音楽が流れていますが、これは今回お呼びした三木学さんによる、画像から音楽を生成するソフトからなんです。


三木:画像の色彩を読み取って七色に分解して、それの一つ一つに楽器を当てはめて音楽を自動的に生成するソフトです。

 

中村:それを今、僕の作品に音楽つけてもらって流しています。今回、三木さんを色彩研究者ということでお呼びしたんですが、こういうお仕事もされているということですね。

 

三木:そうですね。このソフトは、画像から自動的に楽譜を生成して音楽を作ることができるんですが、楽器や演奏方法など様々な選択をして、音楽のバリエーションを増やすことができます。昔は画像検索を作って、画像検索の流れで色彩分析の基礎部分を作って、その展開でいろんなソフトを今でも作っております。

 

中村:三木さんの肩書きって正式にはどう言えばいいんですかね。

 

三木:今回は色彩研究者ということにしています。ただ、仕事の絡み上、色彩については研究をせざるを得なくなったということで増えた肩書です。その他はアート関係の書籍や雑誌の編集や執筆などをしており、文筆家や編集者、と併記しています。色彩関係についても本を出しています。

 

中村:ということで、最初はこの二人でお話しようと考えていたんですけど、打ち合わせの段階で、ここPIGMENTラボ研究所長の岩泉さんからも、画材についていろいろと専門的なお話伺った方がいいということになって、一緒に登壇してもらうことになりました。

 

岩泉:まさにうちでこういったものやりたかったというか、願ったり叶ったりということで、僕としては本当に嬉しい限りですね。

 

 

 

 

中村ケンゴによる問題提起


 

中村:今日は「色彩と質感の地理学 −日本と画材をめぐって−」と題して、お二人と議論していくわけなんですけど、そもそもこのテーマ、三木さんがフェイスブックに藤田嗣治の作品について書かれていたことが契機になっています。どんな事を書いていたのか簡単に引用しますと、「日本人は色彩的ボキャブラリーでは西洋に勝てないと何度も書いているが、フジタの場合は印象派やマティスのような色彩の魔術師とは戦わずして質感で勝負して頂点に立っているところは凄いし、早い。日本人は質感で勝負すべきという事は、何度も言っていることだが、あの時代にそれを自覚し、体現できたということは天才としか言いようがない」と。

 

三木:それは友達だけに書いたものなんで、みんなに宛ててるわけではないんです(笑)。(註:その後、多くの関係者にも価値のある情報かもしれないと思い、途中でパブリックに再設定しました)。

 

中村:要するに三木さんは日本人は色彩じゃなくて質感で勝負しろって書いているわけですよね。もう少し具体的にいうとどういうことなんですか。

 

三木:日本人の場合は西洋人のように色を空間的に把握して、補色(色相環の反対の色)を使ったり、明るさや鮮やかさなどを対比的にバランスをとって配色することは不得手だと思っています。それよりも材質感を生かしたり、質感が鋭敏なので、ディテールを描く方が向いているし、そちらで勝負した方がいいんじゃないかというのは前から思っていたことです。後は、この中の話で細かく説明できればと思います。

 

中村:では、本題に入る前にちょっと僕の作品を例にしてみなさんに今日の議論のとっかかりにしてもらいたいのですが(作品画像をプロジェクションする)、こういう作品を作っています。これらの作品、ここ(PIGMENT)に置いてある絵具と同じもので描かれてる絵画なんですね。今日はあくまで絵具の話なので、作品の内容については解説しませんが、この作品、20年ぐらい前に描いた初期の頃のものなんですが、写真家の方に画面の表面を撮ってもらった写真がありますので見てください。ご覧いただいて分かると思うんですが、ざらざらしているというか、アクリル絵具や油絵とはちょっと違う質感だということが分かるかと思います。

 

図

《SPEECH BALLOON -スピリッツ-"》(作品の表面部分) 1995年 撮影:松本明彦

 

今日ここに来ていらっしゃる方はご存知の方多いと思いますが、岩絵具と言われる絵具です。岩絵具っていうのは所謂日本画で使われる絵具なんですけども、日本画の顔料というとなんだか神秘的な印象もあるかもしれませんね。でももともとは単に様々な鉱物やガラスからできてるものなんです。岩絵具について簡単に、岩泉さんから説明してもらっていいですか。

 

図1

アズライト マラカイト

 

岩泉:はい。岩絵具っていうと大きく二つあるんですね。一つは天然の石ですね。アズライトだったり、マラカイトって言われる石を砕いて作られたものです。もう一つは新岩絵具って言われるもので、フリット、つまりガラスを釉薬で色づけして、こういった色ガラスの塊を作って粉砕するんですね。特徴的なのは粒子で色分けをしてるってことなんですね。一つの塊を砕いて、細かい粒子から粗いものまでできます。粗いものが色が濃くなって、細かいものが白っぽくなる。それは光の反射の関係なんですけども、そういったものをただ色だけではなくて、粒子感も使い分けていくのが岩絵具の特徴になりますね。

 

図2

新岩の原石

 

図3

岩絵具の粒子の階調

 

 

中村:つまり、元は色ガラスだったり、鉱物だったりする光輝材で、粒子の大きさで色の濃さが変わる性質があるってことですね。油絵とはちょっと違った質感があるということが見てもらっても分かると思います。この顔料を膠で溶いて和紙や綿布に塗っていくわけですが、粗い顔料なので、油絵具やアクリル絵具と比べて、ちょっと扱いにくい素材なんですね。所謂日本画よ言われる絵画は基本的にはこの技法で描かれています。今日のテーマにもあるんですけど、じゃあ、何でこんな扱いにくい素材をわざわざ使って作品を作っていくのか。それにはどういう意味があるんだろうかと。ここで三木さんが書かれていた、色彩ではなくて質感で考えるってことが頭によぎって、このテーマを思いついたわけなんです。
 お見せした作品を海外で発表する際、明らかに油絵と違う質感がある。それでお客さんからも技法について質問があったりするのですが、なかなか上手く説明ができないんですよね。だいたいは、「これは日本の伝統的な技法で…」なんとかかんとかみたいなことを言ってお茶を濁して、向こうもなるほどなんて言ってるんですが(笑)、よくよく考えると、日本の伝統とは言っても、ご存知の方も多いかもしれませんが、日本画という概念は、近代以降、明治以降に生まれたもので、今、日展とか院展で描かれている日本画っていうのは、西洋画に影響を受けてつくられてきたものなんですね。それにも関わらず日本の伝統というのもなんか変だなあと思いつつ、しかも、伝統的と言えば、ヨーロッパにも伝統はあるし、アフリカにもあるし、世界中の国々にある。日本の伝統だからすごいっていうのはどうも説明になってない。
 でも、美術大学にしても所謂画壇にしても、日本画の説明というと技法と同時に、これは日本の伝統だから、日本の伝統ということは繊細な感性がここには込められているんだとか、なんだかそういうよく分からないマジックワードを使って、なんかちょっと偉そうな感じで言うんですね(笑)。そうした内輪な歴史観と技法のフェティッシュな説明に終始してしまっている。そういうところで自己満足、自己防衛していると感じるんです。
 ですから、今回はそういう内輪な、国内的業界的な議論じゃなくて、できればもっと普遍的な言葉、できれば英語なんかにも訳せるような言葉にして説明することができれば、もっとこの技法を広く使えることができるんじゃないか、もっといろんな表現があるんじゃないかなっていうことが考えられればということを一つ、目論んでいます。
 しかしだからと言って、ヨーロッパの色彩理論、ニュートンから始まるモダニズムの理論を使ったところでも、やっぱり僕たち東洋人の肉体、そしてさまざまな人種の肉体を越えて語ることも難しい。
 そうしたことを踏まえて、今回は色彩の専門家である三木さんと、画材の専門家である岩泉さんの助言をもらいながら、例えば認知科学的、例えば環境学であるとか、生理学であるとか、そういうアプローチも含めて、色彩だけでなく質感の問題についても語れないかということを考えています。その上でここにある絵具の魅力も再発見することができればということです。最近だと人文系の学問でも、進化生物学なんかの影響も強く受けるような議論が多いですよね。そういう知見を借りながら今日はお話しができれば思うのですが、とは言ってもここにいる三人、科学の専門家ではありません。だから、ほとんど言いたい放題の仮説になってしまうでしょうから、いろんな専門家の方に、我々の言ってる仮説なり、放言がちゃんと理にかなったものなのか、様々にご意見、ご批判をいただきつつ、議論が広がっていけば、この企画にも意義があるのではと考えています。
 それから、このPIGMENTっていうのはたくさん外国のお客さんがいらっしゃるんですよね。

 

岩泉:そうですね。今、先ほどもいらっしゃいました。

 

中村:まさにこういう絵具が置いてある、しかも外国の方もたくさん来られる場所で、こうしたお話ができるというのは有意義なことだと思っています。一つお断りしておくと、タイトルに「日本の画材」と入れているんですが、この日本っていう言葉も別に国境線で区切った日本という意味ではなくて、あくまで地理的、風土的な意味での日本ということです。けっして今流行の「日本すごい」っていう話ではないことをご留意いただければと思います。

 

 

|← トップページ(イベント概要)「フランスの色景」と絵画の色彩分析 →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (3)

「フランスの色景」と絵画の色彩分析



中村:ということで、具体的な話に入っていきましょうか。三木さんが、港千尋さんと一緒に書かれた「フランスの色景」という本、まずはこれを起点にお話していこうと思います。

 

三木:港千尋さんは多摩美術大学の先生で、写真家・著述家なのですが、去年はあいちトリエンナーレの芸術監督をされていました。僕も「アーティストの虹―色景」というプロジェクトでディレクターをしてました。
 これは2014年の末に出した本でです。「色景」というのは造語なんですけど、景色の中に潜んでいる色彩感覚や配色の法則、色の風景などを表しています。
 ですから、フランスの日常風景などに含まれている配色の法則や色彩感覚がどういうものか、僕らが作った色彩分析ソフトを使って分析してみて、さらに日本との差異を比較するという試みなんです。
 港先生は奥様がフランス人だということもあって、フランス全土を回って写真を撮られています。フランス生活だけではなく、南米生活もされていますし、世界も随分回られていて、凄くユニバーサルに活動されています。
 港先生がフランス全土で撮った写真を厳選して、それを僕が色彩分析ソフトにかけて、そこからまた港先生にコメントをもらう、という方法でこの本は作っていました。
 このソフトでは、色相、明度、彩度の色立体が画像のピクセルを分布させることができるのと、画像から色名を抽出することができます。例えば、フランスの色名、日本の色名といった多言語の色名を出すことができるので、認知的な面からもどういう差があるのかわかります。
 ですから、色立体の分布や日仏の色名を抽出して、僕が分析してから改めて、港先生にコメントもらいます。結構、何気なく撮った風景から分布しているにも関わらず、わりと色彩理論とか色彩調和論に、ぴたっとくるものが凄く多かったんですね。
例えば、この写真のように、黄色と青色という対比的な配色はいろんなところに出てきます。

 

図

港千尋、三木学編著『フランスの色景―写真と色彩を巡る旅』青幻舎、pp.144‐125

 

図

港千尋、三木学編著『フランスの色景―写真と色彩を巡る旅』青幻舎、2014年、pp.146‐147

 

 

こちらは、フランスの色名と日本の色名の割合を出しているんですけど、この分析によって、該当する部分に言語があるかないかってということがわかります。

 

図

港千尋、三木学編著『フランスの色景―写真と色彩を巡る旅』青幻舎、2014年、p.152

 


この写真に関しても色相環で対比的な配色で合わせたり、トーンを合わせるとか、凄く色彩調和論で説明できるものが非常に多かったです。それは別にフランス人がわざわざそういうことを考えてるわけじゃなくて、無意識にやっていて、色彩感覚があるので、作る中で自然のうちにできるっていうことですね。これは建物、空間とか、建築とか、そういうものを抽出してますけど、食べ物とか、衣服とかも含めて環境全部にそういう傾向があります。

 

図

港千尋、三木学編著『フランスの色景―写真と色彩を巡る旅』青幻舎、2014年、pp.154‐155

 

図

港千尋、三木学編著『フランスの色景―写真と色彩を巡る旅』青幻舎、2014年、p.156‐157

 

 

中村:こんなブルーの看板とか日本人の感覚にないですよね。

 

三木:ないですね。なかなかおしゃれだと思うんですけど。港先生は、昔はこの看板はなかっただろうって書いてありますね。そういうものを上手く自分たちの感性に取り入れて、ちゃんと補色にしていたりしています。気持ち悪くないですよね?日本の看板みたいに取って付けた感がないっていうか…。

 

中村:調和していますね。

 

三木:港先生も写真家なりに色彩のバランスを考えて撮るので、それを分析するとある程度調和的になります。僕は写真家の作品の色彩分析というのも何回もしてるんですけど、写真家の個性って結構色彩に出るんです。例えば、海みたいに同じモチーフを撮ってる写真家はたくさんいますけども、その人の個性が出るのは色彩の部分だったりとかします。だから、色彩っていうのはわりとその無意識なんだけど、その人の感覚とか、個性みたいなものを色濃く反映するものなんですね。
 それでも町の人が自然に作った風景の写真にも関わらず、なんとなく調和するというのは写真家の感性だけの問題ではなく、やはり町の人々の感性も大きいですね。こういうことがなぜ日本ではできないのかっていうのが長年の僕の疑問だったんです。わりとこの本は、嫌味として作ってる部分あって、僕は奈良県出身で今でも奈良県に住んでるので、凄く古い町でありながら、何で町の中にとんでもない看板ができるのか、遠まわしですが気づいて欲しかったわけす(笑)。こういう風におしゃれにもできるんですよ、ということで。
 色立体の分布をみると調和していることが顕著にわかります。この色の反対の色が補色ということになります。色彩学的には一つの色を見てしばらくして、離したら反対の色が見えてくるっていう生理的な現象ですね。そういうものを上手く使ってるっていうことです。
 近代色彩学っていうのはニュートンやゲーテぐらいからできるわけなんですけど、補色的な考え方とか。その後、色彩調和論が活発になるのはシュブルールあたりからです。色を立体化するっていうのもこの辺りからなんです。そもそも色が色相環で回ってること自体が嘘と言えば嘘ですから。

 

中村:紫外線と赤外線で両端なのにそれをくっつけちゃって回っている(笑)。

 

三木:波長としてどんどん長くなるに、ぐっと曲げてるわけですから。それは元々その音楽との共通性があるというふうに、そもそもニュートンが考えて嘘ついたっていうか、これを1周させてるわけですね。だから、7つに分けたっていうのも、そういう音楽との影響ですね。
 このニュートンの色相環の図を見ると、オレンジとかレッドとかありますね。インディゴつまり、藍の部分なんかは実際に判別できず、助手が見えたとか書いていたりします。僕らが見ても分離できない色があるんですけど、わざわざ7つにしたかったっていう恣意性が非常に高いものですね。で、それを1周させたっていうのが音楽の影響です。だから、音楽理論から色彩調和論っていうのができているんですね。そして、平面だったものを立体にしていくっていうのが近代色彩学の流れですね。

 

図12

北畠耀『色彩学貴重書図説―ニュートン・ゲーテ・シュヴルールを中心に』日本塗料工業会、2016年、p. 25

 

 

それに対抗してゲーテがなんかが一応、補色関係の色相環を作ってますけども、これも一応、円にしています。そこから立体にしようというのがシュヴルールのあたりから出てきます。日本なんか、まったく円にもしないし、立体になんかしないわけですけど。こういう考え方はわりと西洋だからこそ生まれたんじゃないかなと思っています。だから、明度とか彩度とか色相とか、言いますけど、わりと西洋人的発想だなというふうには思います。この本にも書いていますけど、補色っていう考え方自体が凄く西洋思想的っていうか、テーゼとアンチテーゼとアウンへーべンみたいな、そういう西洋思想的な影響もあるじゃないかとは思っています。あるいは色彩の感覚が西洋思想を生んだのかもしれません。

 

図13

北畠耀『色彩学貴重書図説―ニュートン・ゲーテ・シュヴルールを中心に』日本塗料工業会、2016年、p. 42, 44, 48

 


シュブルールは、色彩の同時対比の法則を発見しています。もともとゴブラン織の研究所の監督をしていたので、2色を並べた時に色が違って見えるっていう効果があるので、クレームを受けることがあって、測色をしたら全然問題ないんだけども、横の色の並びによって影響を受けるっていうことを発見して、それで「色彩の同時対比の法則」っていう本を書くわけなんですね。それは1839年、ちょうど写真が誕生した年ですね。なので、写真の発明なんかとも同期してるんですけども。そこから色彩を立体にしてきます。
 それから、シュブルールの色彩調和論がありまして、類似の調和と対比の調和っていうことなんですけど、この色彩調和論は現在でも使われていて、これを少しアレンジしたもので、だからこの時代から実は変わってないってことですね。

 

図14

M.E. シュブルール『シュブルール 色彩の調和と配色のすべて』佐藤邦夫訳、青娥書房、2009年

 

 

 これを明確に現在みたいな立体にしたのマンセルです。マンセルが面白いのは、これは地理学の話とも関わるんですけど、地球儀をメタファーにして色彩球を作っています。中央から外にかけて鮮やかになっていき、中央あたりで最も鮮やかになり、上は白、下は黒のようにしています。この色彩の地球儀をくるっと回すと混色して灰色になるみたいな、そういうことを考えています。で、赤道あたりが鮮やかになるので、実際の地球とも通じていて、色彩の、知覚の地球儀っていうかね、そういうものを考えたというわけなんで、少し地理学の話とも後ほど関わってくるんじゃないかなと思っています。
 あと、シュブルールが平面の隣に同時に対比的な色を置いた時にどういう知覚効果が現れるかっていうことを理論化したのですが、それに影響を受けて、印象派などが積極的に取り入れたっていうふうなことなんですね。
 フランスの色景の特徴はやっぱり多色色相配色ですね。たくさんの色相を使っていることと、補色で多用していてます。マンセルは色立体でバランスをとることを、天秤のようだって言ってるんですけど、色空間の中でこっちに鮮やかであれば、こっちは少し彩度を落とすとか、空間の中で天秤のようにバランスを取るということをかなり言っています。こういう傾向があるということが分かりました。

 

図15

北畠耀『色彩学貴重書図説―ニュートン・ゲーテ・シュヴルールを中心に』日本塗料工業会、2016年、p.66

 

 

三木:このまま詳しく知りたい人は僕に聞くより本を買ってください。

 

中村:このランクロの「色彩の地理学」が、まさに今回のトークのタイトルの元になっています。

 

三木:そう。元々色彩と質感について話してくれって話になって、日本っていうネーションみたいな話じゃなくて、地理学な意味で扱いたいっていうんで、ランクロの「色彩の地理学」を紹介しました。これたぶん知ってる人は知ってると思うんですけども。フランスの有名なカラリストとして知られています。ランクロはですね、戦後の結構新素材みたいなもの影響を受けて、それを元々土着の色はなんだったかっていうことを調べるためにフランス全土を回って、そのあと世界を回るんですけど。そこの土着の色と写真と土質とか、デッサンとかによって分析していくっていう、面白い手法を使ってます。これフランスの土の採集で、元々土が持ってる色はどんなものかっていうことをやったりとか、それを1つの分析の方向を編み出したりとか、デッサン書いたりとか、実際こういうカラーチャートで測色したりとか、それをパターン化したりとか、そういうことをやっています。いろんな仕事をしてるんですけど、この人はプロダクトとか、建材とか、いろんな仕事をして、日本人なんかも影響を受けてる。これは位置や現場を分析して、次はそれをまた構成するみたいな方法を取っています。これは一つの考え方の参考になるんじゃないかっていうことを今回紹介しました。

 

図16

Jean-Philippe Lenclos, Dominique Lenclos, Colors of the World: The Geography of Color, New York, W. W. Norton & Co Inc, 2004.

 

 

|← 登壇者の紹介/中村ケンゴによる問題提起西洋と比較における日本人の色彩と質感の感覚 →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (4)

西洋と比較における日本人の色彩と質感の感覚


 

pigment

 

中村:先ほど三木さんから、どうして日本の街の景観はひどいのかという話がありましたが、議論を分かりやすくするために、ヨーロッパ、今回はフランスを例にして、西洋と日本の色彩感覚の違いというのはどういうものなのかお話していきたいんですが。要するにフランス人っていうのは芸術家ではなくとも色彩を立体的に捉えて、バランスよく対比しながら配色することが自然にできると。それを日本人が後から勉強して会得するのは難しいんじゃないかということですよね。

 

三木:そうですね。僕はある種、嫌味と同時に参考にしてほしいという思いで作ったんですけど、無理だなっていう結論に途中でなりました。これちょっと後から勉強しても無理かもしれない。非常に感覚に根付いたものなので。なので、質感でやった方がいいんじゃないかなというような、そういうこと。

 

中村:例えば、サッカーのイタリア代表ユニフォームの「アズーリ」と言われる青色や、フェラーリの赤色、とても素敵だなと思うんですが、それに比べてガンダムの青、赤、黄色は結構ダセえなっていう(笑)。でも、今の日本の街の色ってあのガンダムの色ですよね。もしガンダムが、アズーリとフェラーリレッドだったら結構かっこいいかもと思うんですが。そういう意味で日本人は色彩じゃなくて素材の質感で勝負すればいいんじゃないのという話になるわけですよね。

 

三木:岩泉さんも詳しいでしょうけど、平安時代の「襲」なんかもあるわけなんで、色彩が発達していた国の一つだと思うんですけど、西洋思想的な色彩を取り入れるのは非常に難しいとは思います。厳密に言うと、天然の素材ではなくて、ケミカルなものが明治頃に入ってきて、大正時代頃に結構良いバランスになったんです。戦争でそれがデリートされたんで、余計にひどくなったっていう状況です。だから、戦争がなかったらもう少し良かったかもしれないとは思っております。

 

中村:色彩じゃなくて素材の質感ということで、建築を例に取ると分かりやすいってお話をされてたと思うんですけど、例えば、安藤忠雄さんであれば、コンクリート、坂茂さんであれば、

 

三木:紙。

 

中村:妹島和世さんであれば、

 

三木:ガラス。

 

中村:そして、このお店の設計はどなたでしたっけ。

 

岩泉:隈研吾さんです。

 

中村:隈研吾さんであれば、

 

三木、岩泉:(声を揃えて)木(会場笑)。

 

中村:ということですよね(笑)。基本的に日本の建築家、素材勝負なんじゃないのってことです。確かに色でやってらっしゃる建築家あんまり…

 

三木:見たことないですよね。

 

中村:聞かないですね、確かに。なるほどなるほど。

 

三木:いるっていうことであれば後で囁いてくれれば。

 

中村:例えば、これも三木さんが言っていたんですが、吉岡徳仁さんのように色彩を使ってるようで実はそれプリズムだという場合もあるし、ファッションであれば、コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトの黒、イッセイミヤケのプリーツにしても素材の質感ですよね。そういうものが多いんじゃないか。そこで三木さんがフジタが凄いって言ってた話にも繋がってくる。

 

三木:そうですね。なんかわりとその時代にわりと俺これ勝てねえわっていう、ここだったら勝てるっていうのを見つけたのがわりと早かったなって感じがします。その後の岡本太郎の原色使いから比較すると、その点ではフジタの方が上だなって気がします。僕は岡本太郎の論文も書いていますから大好きなんですけど(笑)。

 

中村:今日は絵画の、内容の話じゃなくてあくまで色と質感の話しようということで、三木さんの言うところによれば、色の組み合わせについて日本人はちょっと苦手なところがあるけども、素材の質感の感覚については非常に強いものがある。だから、単純に日本人がフランス人の真似して頑張るっていうことではなくて、自分たちの強みをもっと生かしていけばいいんではないかと。そういえば、展覧会でも、日本人って、かなり絵の近くまで行って、じっとディティールを見てるじゃないですか。玄人筋は、何で絵の全体を見ないんだ、見方がなってないみたいな話をよくしますけど、それも今までの話を踏まえて考えてみると、近くから見てるっていうのは、質感もチェックしてるのかなと。

 

三木:そうだと思います。

 

|← 「フランスの色景」と絵画の色彩分析なぜ日本の芸術大学では色彩学をきちんと教えないか →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (5)

なぜ日本の芸術大学では色彩学をきちんと教えないか


 

中村:僕は美術大学出身ですが、例えば受験のときもデッサンをたくさんさせられましたけど、あんまり色については本格的に学んでこなかったなと思いました。デザイン学部だとまた違うのかもしれませんが。それで今回、三木さんに僕の作品の色彩分析もやってもらったんですが、配色は意識したとしても、明度や彩度まで自分の中でコントロールしていたかなっていうと、まったくではないですが、強くは意識していなかったと思ったんですね。というかあえて調整しないということもある。今は紙だけじゃなくてモニターで色を見ることが凄く増えてますから、その時代に合わせた色彩感覚っていうのも世界的に生まれているとは思うんですけども、やっぱり大学でアカデミックに色彩についてちゃんと学んでこなかったなとということはあらためて思いました。岩泉さんも美大出身ですよね。

 

岩泉:そうです。京都造形大学。

 

中村:色彩に関する授業とかやってましたか。

 

岩泉:まったくなかったですね。

 

中村:まったくですか。僕は、色彩学、ヨハネス・イッテンぐらいはやった記憶があるんです。でも、それが自分の制作に具体的な影響を与えいるかというと、そんなことはないし…何でなんでしょう、美大で色彩のことを体系的に学ばないっていうのは。

 

三木:僕もこの話を受けた時にちょっと調べたんです。いちおう、ちゃんとわりと近代色彩学の発展と明治の開花とわりと平行してるので、早い段階から入れてるし。

 

中村:西洋の色彩理論が入ってきてた。


三木:相当入ってるし、東京芸大の前進の東京美術学校でも結構やってるんですけど、ただそれがだから現在になった時になんか途切れてるんですよね。途切れてるし、それこそバウハウスみたいなのを基礎課程みたいな形で、みんなが色彩を重要な項目として受けるというプロセスをやってるところはほとんど現在においてもなくて、こういう話をしても、ほとんどみんなやったことないと言っていますね。

 

中村:イッテンもバウハウスで教えてたんですよね。

 

三木:イッテンが教えていて、途中でグロピウスと喧嘩をして。それで弟子のアルバースに受け継がれるんですよね。

 

中村:確かにアルバースの作品は、そうした問題意識でつくられていることがわかります。そのアルバースがアメリカに渡って…。

 

三木:ブラックマウンテンカレッジとかで、ラウシェンバーグとかサイ・トゥオンブリー。

 

中村:そうやって受け継がれていく。

 

三木:そうですね。だから、やっぱり西洋色彩学の影響はもの凄くあります。

 

中村:でも、日本でそういうフォーマルな絵画の色彩分析ってあんまり読んだことないないですね。

 

三木:ないですね。あるっていう人がいれば教えてもらいたい。

 

中村:情報があれば、みなさんからも教えていただければ幸いです。

 

岩泉:当時、やろうとはしてたんですよね、

 

中村:岩泉さんが古本屋で手に入れた本があるということですが。

 

岩泉:そうですね。これいつでしたっけ、明治ぐらいですよね。『色彩新論」。

 

図4

田口米作《色彩新論》1910年

 

 

中村:みなさんに見せてください。どこで手に入れたんですか。

 

岩泉:ネットの会社です。でも、置いてたのは京都の古本屋さんですね。美術関係を扱ってる所で手に入れたんですけど。

 

中村:明治期の本なんだ。凄いですね。カラー印刷なんですか。

 

岩泉:一部カラーです。明治四三年ですね。中も結構、凝ってるんですね。こういったことを当時やろうとしてたんですけど、書いてた人が亡くなっちゃったらしくて、誰かに引き継いでやったらしいんですけど、そこでたぶん止まっちゃったんじゃないか。

 

三木:この人は日本画家で実践的な人なので、学校教育とは別なんですけど、もう少し実践的な教え方があったんじゃないかという可能性ですね。だから、東京芸大とかではしっかりアカデミックのものが入っていたのは入っていた。ですけど、おそらくもう少し実践的な方法みたいなことは止まってたのかもしれない。

 

中村:作家っていうのは、自分の経験に基づいた色彩の感覚なり理論っていうのはある程度持ってると思うんですけども、アカデミックなものは…。

 

三木:持ってないですからね、元々。

 

中村:そう。だけど、そういうのをもし大学でちゃんと教えることがあれば、作品制作に跳ね返ってくるはずです。

 

|← 西洋と比較における日本人の色彩と質感の感覚風土による視覚の感覚の違い。地域と移動の問題 →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (6)

風土による視覚の感覚の違い。地域と移動の問題


 

中村:課題がいくつか見えてきたと思うんですが、具体的に、「色彩と質感の地理学」のタイトルに基づいて、ネーションの問題ではなく、風土によって、色や質感に対する感覚が違ってくるのかという話をしていきましょう。風土によって我々の知覚はどういうふうに変わっていくのか。また僕たちが場所を移動することによっても変わっていくのかという話をしていきたいんですが、「色彩方言」という概念を提唱した本があるそうですね。

 

三木:はい。地域によってなぜ色彩の感性が変わるのか仮説を考えた方がいるので紹介したいと思います。佐藤邦夫さんが書いた『日本列島 好まれる色 嫌われる色 カラー・ダイアレクトとテイストバラエティー』という本です。佐藤さんは色彩学者に留まらなかった人で「感性マーケティング」とか、そういうこともやっておられた方です。この方の本は結構面白いですが、どこまで科学的にこれ分析されたのか、僕も検証できていません。

 ここには「生後18年、どんな緯度の地域に育ち、どんな状況の自然光を浴びて肉体的成長を迎えたかは、私たちの色覚形成と色彩嗜好心理に重大な影響力を及ぼしてるはずである。私たちこれを「色彩方言」(カラー・ダイアレクト)」と名づけたいと思う。」(p.33)と書いています。

 

図18

佐藤邦夫『日本列島 好まれる色 嫌われる色―カラー・ダイアレクトとテイストバラエティー』青娥書房、1999年

 

 

中村:当たり前のことだとは思うのですが、あまり美大ではこういうこと意識して制作することないですよね。最近では地域アートやデザインが流行なので、そうした視点も出てきているのかもしれませんが。

 

三木:佐藤さんは色彩嗜好には年代差、個人差、地域差の3つあると言っています。そして、地域差の環境要因には、5つぐらい項目があると。気温、湿度、日照時間、土質色。そして、自然光です。佐藤さんは自然光の緯度差がかなり大きいと考えているんです。
僕らが議論した中でもやっぱり気候が大きいのではないかという話をしていました。自然光の緯度はどういうところに影響あるかというのは照度、色温度、光の演色性、色順応、恒常性としています。
 色温度というのは、色の中に色みみたいなのがあるっていうことなんですけど、光の演色性というのは、光の色みがものの見えに影響を与えるということです。色順応とか恒常性は知覚の方の問題ですが、色みを補正する脳の機能ですね。で、この本はまた面白いので読んでいただきたいんですけど、太陽光がどういう形で入射するかで地球に浴びてる光の色とか、色の強さとか、色みが違うみたいなことを言っていて、特に日本の緯度は、ちょうど色がすごく変わるところにあって、北海道から沖縄まで緯度がかなり長いので、自然光の色みもかなりバラエティがあるよっていうことを言ってます。
 ここには「このグラフを実証する完全な実証データを得るためには、全国の測候所に精度の高い色温度計を設置し、四季にわたる膨大な観測値を処理する国家的事業を幾年も続けなければならない」って書いてありますけど、たぶん続けられてないので、これがどうなったのか僕にも分からない。この辺はね、ちゃんと科学的にフォローしてない、僕は知らないので教えて欲しいぐらいです。

 

図19

佐藤邦夫『日本列島 好まれる色 嫌われる色―カラー・ダイアレクトとテイストバラエティー』青娥書房、1999年、p.44

 

図20

佐藤邦夫『日本列島 好まれる色 嫌われる色―カラー・ダイアレクトとテイストバラエティー』青娥書房、1999年、p.33

 

 

 で、気候によって結構違う。やっぱり気候は湿度が違うので色の見えがかなり違いますね。空気中に含まれてる湿度によって、どうしても光が分散化したりしますので。特にヨーロッパと日本では夏と冬との湿度が逆なので。夏にからっと晴れないで困ったりしますので、かなり色彩の見方も変わってくるし、こういう海洋と気候によって、潮流によってかなりその気候は影響されてる国なので、日本全国によってかなり色のバラエティがあるということを言っていて、佐藤さんはこういうエリア分けをしてるんですね。

 

図21

佐藤邦夫『日本列島 好まれる色 嫌われる色―カラー・ダイアレクトとテイストバラエティー』青娥書房、1999年、p.124‐125

 

 

中村:これは地方によって、色の傾向なり好き嫌い違いがあるというマップなんですか。

 

三木:色彩の感性をエリア分けしたマップですね。だから、例えば関西だったら建物の中でも土っぽいというか、茶色っぽくなるけど、関東行ったら何となく青っぽくなるみたいなね。

 

中村:今の話につながるのかちょっと分からないのですが、JRのCMって、東京に住んでるとJR東日本ですから、旅行に行くとなると、大体東北に行こうってことになりますね。僕は大阪の出身なんですが、大阪に住んでるとJR西日本、九州に行こうなんですよ。そうするとそれぞれの駅貼りのポスターの色が全然違うんです。東京に来たとき、旅行案内のポスターの印象がなんか地味だなと思って、今度は大阪駅で降りると、宮崎への観光ポスターなんかが貼ってあって、熱帯の鮮やかな花の写真が掲載されているわけです。

 

三木:この本の中ではね、阪急電車の色分けが…。

 

中村:阪急電車といえば、小豆色。確かに阪急電車が東京に走ってたら結構変な感じするかも(笑)。

 

三木:そういうことなんでしょうかね。東京で作ってマーケティングをして、地方で売ったら全然売れないとか、色が映えないとか、そういうことがあるので。

 

中村:ファッション業界の人なら当たり前のことかもしれないですね。

 

三木:地域性みたいなものを考えないと駄目だってことのためにこういう本を書いているんですね。

 

中村:モダニズムにかぶれた東京の美大生はあまり意識してないのでは。

 

三木:そうですよね。でも、絵画でも出身地がどこかで変わる可能性はありますよね。大胆な仮説だと思いますけど、非常に面白いです。

 

中村:ヨーロッパは夏は乾燥してるけど、日本は湿度が高い。まったく状況が違うわけですよね。そういうことでやっぱり表現も変わってくると。印象派もパリで描いてる時と、プロヴァンスに行った時では全然変わってくる。

 

三木:そうですね。だから、その印象派、凄く色彩について自覚的だった印象派が分かりやすいからよく説明しますけど、こういうモネなんかのノルマンディー地方だと思うんですが、北の方の色彩の、

 

図22

クロード・モネ《印象・日の出》(1872)の色立体分布

下:マンセル表色系の色空間、右上:色相・彩度図、右下:明度・彩度図

 

 

中村:北海側ってことですね。地中海側じゃなくて。

 

三木:色立体の色の分布が固まってるんです。凄くたくさんの色を使ってるようなんですけど、色相環の半分ぐらいしか使ってないんですよね。

 

中村:真ん中辺ですね。

 

三木:真ん中辺を使っていて、トーンなんかも中央に固まっていて、そこまで彩度は高い色は使ってないんです。こういう傾向がありますが、ゴッホとかになるとやっぱりこうどんどん外側に外側に行くんですね。照度がかなり違いますんで、色立体の外に外に拡張していく、南下すると。だから、南下するとともに色が拡張していくっていう歴史で、これはシニャックの《アンティーブ》ですが、かなり色全体広がってますね。《ラ・ムラード》いうマティスの絵なんかだともうはみ出してちゃってるわけですね。

 

図23

フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの跳ね橋》(1888)の色立体分布

 

図24

ポール・シニャック《アンティーブ》(1911)の色立体分布

 

 

中村:マティスのこの作品、かなり跳んでますねえ。

 

三木:だから、印象派からフォーヴィスムに至る過程で北の方から南に移動するっていう、やっぱり地理の移動みたいなものをみないと、絵画の歴史も分からないじゃないかっていうようなことですね。

 

中村:一昨日、代官山のアートフロントギャラリーで浅見貴子さんの個展を見たのですが、彼女からボストンに留学していた話を聞いたんですね。彼女は墨と和紙を使って葉と枝をある意味抽象化して描いてるのですが、ボストンに行ったら空気が澄んでいて遠くまではっきり見えるもんだから、葉っぱも枝も遠くまではっきりと描くようになったっていう。もうひとつ、山形にある東北芸術工科大学で教えている三瀬夏之介さんの話をしたいんですが、彼が学生たちと一緒に「東北画」を描くっていうチュートリアルというか、プロジェクトをやってるんですね。ここの寺田倉庫のギャラリーでも展示したこともあります。実は、三瀬さんは三木さんの高校の後輩で奈良の出身なんですよね。そんな彼が東北に行って、「東北画」というものを描くという時に、作品の色がもしかしたら…。

 

三木:そうなんです。三瀬夏之介君、ドロドロっとした色彩を描く人なんですね。だから、東北に行ったらますますドロドロになるんじゃないかっていう。色彩を混ぜてくすむという意味ですよ。失言じゃなくね(笑)。彼は「東北画は可能か?」っていうプロジェクトで、学生と一緒に絵画の共同制作って珍しいことをしてまして。

 

中村:複数の学生で一枚の絵を描くっていうことですよね。

 

三木:それで京都で展覧会をしていたので、見に行ったんですけども、「東北画」っていうので、僕は奈良の人間なので東北について、行ったことはありますけど、そこまで詳しく知らないので。やっぱり雪が多いから彩度が低いと思ったら、わりと彩度が高い絵が多かったんですね。

 

中村:これを見たらさっきのマティスに負けない色の展開ですね。

 

三木:そうですね。それは結構、驚いたんですよね。で、なぜかということ三瀬君に聞いたら、彼の居住しているところは、東北って言っても山形なんですよね。山形盆地なんです。奈良盆地から山形盆地に行ったってことなんですけど。彼は山形の方が視界が広がる時があるんですっていうことを言っていて、その感じ出てるんだと思うんですけど。それで気象庁の年間の湿度を調べてみたんですね。そうすると春先にかけて太平洋側よりもちょっと湿度が下がるんですよね。

 

中村:実はちょっとヨーロッパ型だった。

 

三木:ちょっとヨーロッパ型になるんですよ。だから、冬はもの凄い湿度が高いんですけど春先から湿度がぐっと下がる。

 

中村:今頃は凄く過ごしやすいってことですね。


三木:そうです。だから凄くくっきりはっきり見える。今頃、背景がばっと見えるということが影響あるんじゃないかという仮説を立てて文章を書いたことがあります。僕は東北画のことは絵画運動だというふうに考えていて、それで本当に昔の印象派みたいな北から南に行くじゃなくて、南から北に行ったけれども、それがかえって、鮮やかなものを生み出したということが面白いと思っています。

 

中村:ふたつとも「色彩の地理学」のお手本にふさわしい事例だと思うんですけど、「フランスの色景」でも触れましたが、フランス、日本、地域によって見えかたも、見える色の種類も違うし、色の名前も違ってくる。地域や民族によって色彩感覚、色彩文化が違って、それが色名にも現れてくるということですね。ということで、今の話を引き継いで、色の話から絵具、画材にそのものについてはどうなのかということを、岩泉さんにお話いただきたいんですけども。

 

|← なぜ日本の芸術大学では色彩学をきちんと教えないか画材の特性の観点から見る色彩の地理学 →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (7)

画材の特性の観点から見る色彩の地理学



岩泉:僕も元々、日本画専攻出身っていうこともあって、得意な分野で話させてもらうんですけども、大学時代は墨とか膠の研究してて、表現の違いが地理的に顕著に現れてるなと思ったのは、中国の宋時代なんですね。地域性で色が、というか描き方が変わっちゃうんです。尚且つ画材の特性上も変わっちゃうんです。後で顕微鏡の写真見せますが、墨っていうのは、磨る水の硬度で色変わるんです。

 墨を硬水で磨ると、中間の濃さから濃いものまでが一番黒がはっきりと力強く出るんです。逆に淡い色はあんまり綺麗にでないんです。なので、硬水で擦る場合は比較的濃い方のレンジで使うんですね。軟水の場合は反対で薄い墨が綺麗に出ると。透明感のある色が出るんです。逆に濃い方のレンジでいくと、ちょっと黒がぼけちゃうんですね。北宋が硬水、南宋の地域が軟水圏なんです。北宋は硬水なんで、やっぱり絵が黒いんですよ。

 

図5

范寛 《臨流獨座図》 北宋時代 『大観 一生難遇的看』 編集:雄獅美術編輯部 2006年

 

 

中村:コントラストが激しい。

 

岩泉:結構、ガッツリ描くんですよ。で、ちまちま描いてくって感じです。筆致も重ねていくんですよね。なので、色もどんどん濃くなってくし、力強い感じになってく。当時の思想も関わってはくるんですけども。これ仮説なんですが、作家はやはり墨の色を見て綺麗な方を使うと思うので、比較的黒いトーンの方で作り上げていったんじゃないか。北宋の文化圏っていうか、王朝があったところは硬水圏だったんです。それが南宋に移ってくんです。さっきの印象派じゃないんですけど。

 

中村:(プロジェクションを見て)全然違う。

 

三木:淡い。

 

岩泉:淡いんです。で、たまたま南宋の絵描きさんが住んでた地域が湖のほとりだったんですね。面白いことにそこも日本の緑茶みたいなのが、ちょうど栽培されてる地域なんですよ。

 で、湖の水って雨水が溜まった貯水庫なんで、基本的に軟水なんですね。当然、その絵描きさんが住んでる地域で書く絵って全部やっぱり淡墨で描くんですよ。で、尚且つやっぱり軟水ってことは湿潤な気候っていうこともあって、やっぱりこういうふうになっていくんですよね。これも完全に日本の水墨画ですね。

 

図6

作者不明《秋景冬景山水図》 南宋時代 『崇高なる山水』編集:大和文華館2008年

 

図7

伝 牧谿筆《煙寺晩鐘図》 南宋時代 『與衆愛玩 畠山即翁の美の世界』 編集:畠山記念館 2011年

 

 

三木:牧谿さん。

 

岩泉:牧谿さんですよね。じゃあ、日本に移ってくるとどうなるかと。日本、軟水ですよね。やっぱりその墨を磨る時に、日本人の感覚と合ったんですよね。日本の湿潤な空気を墨で表そうと思ったら、やっぱり薄く使って軟水で淡い空気を出せたわけです。そういう意味では凄く水と地域性というか、尚且つ画材が影響していたってことですよね。これもそうですよね。

 

図8

長谷川等伯《松林図屏風》1592年頃 『没後400年 長谷川等伯』東京国立博物館

 


中村:長谷川等伯の「松林図」、木の根元とか、本当に筆致がふにゃふにゃですもんね。びっくりするぐらいふにゃふにゃだから、うわ、こんなんでいいんだって思うものね。


岩泉:そうですね。実はちょうど去年、中国の四川省の方に行ってきたんですけど。峨眉山って山に行ったんです。もう凄い霧がかかちゃってて、本当に一寸先何も見えない状態。霧のせいで若干歪んで見えるというか、やっぱそういう意味ではちょっとひょろっとしてるのは、なんかその歪みなんじゃないか。

 

図9

峨眉山の風景

 


中村:ということは、これは観念的に描かれてるわけではないと。ちゃんと写実なんだ。


岩泉:と思うんです。本当に思います。淡い水墨画のよく煙った感じとかありますけど、本当にそうなんですよね。たぶんここから僕、一番後ろの人全然見えないはずです。でも、晴れた時は一気にすぱーんとさっきの北宋画みたいな風景になるんですよ。だから、やっぱり見てる風景と画材は凄く関係があるのかなと。紙もそうです。

 

中村:紙の話をすれば、西洋の紙は反射しますけど、和紙ってちょっと透けてるっていうか、例えば障子って透けてますよね。

 

岩泉:そうですね。障子なんかもそうですし、構造的にも、屏風は襖の構造ですよね。風土にあった構造になるわけです。日本って特に湿気と乾燥してるって時期が行き来しますよね。ヨーロッパは乾燥してるってイメージありますあけど。その乾燥してる、湿気てるっていうのを繰り返すので、その往復に耐えなきゃいけないので、襖でその構造を作るんですよね。なので、空気が通るような仕組みにしつつ、中にその胴張り、骨紙張りとかだったかな、蓑縛り、だったかな?ちょっと忘れちゃったんですけども。土の入った紙を使うんです。それで、湿気を含ませたりするんです。


中村:土を含ませた紙? 土と一緒に漉くんですか。

 

岩泉:土を漉きこんだ紙があるんですよ。泥間似合紙という湿気を帯びるようにつくられた紙です。もうひとつ、美栖紙って言って胡粉、つまり炭酸カルシウムが入った紙があって、逆にそれが湿気を吸いだしてくれるんです。だから、紙が呼吸するような仕組みになっているんです。今の襖はまったく気にされてないのであれなんですけど。同じように掛け軸でも、その土が入った紙と炭酸カルシウムが入った紙とを何層にもして、湿気に耐えられるようにしてるわけです。
 西洋でやっぱり紙ができなかったっていうのは、水が硬すぎちゃうんです。硬すぎちゃうんでできあがりがばりばりになっちゃうし、カルシウムが雑菌を呼んじゃうんですよね。良い紙ができなかったんです。対して中国では紙が発達する。でも、中国もちょっと水が硬いんで、どうしようかなって考えて、彼らは発酵させたんです。原料を発酵させて、それを柔らかくして漉くことを考えたんです。でも、そうするとちょっと黄色くなるじゃないですか。なんでもそうですけど。漬物もそうです。チーズもそう。なんで、そこに今度白い顔料を入れるんですね。白くするために。

 

中村:染めちゃうんですか。

 

岩泉:染めちゃうんです。で、白くするっていうのが画宣紙の始まりなんですけど。だから、そういう意味で白い紙は弱いんです、やっぱ一度発酵させちゃってるので。でも、日本は軟水なんですよね。だから、煮込めば勝手に原料が柔らかくなるんですよ。柔らかくなるんで繊維の強さは残せたまま漉ける。だから薄くなりつつも強靭な紙が漉ける。

 

中村:なるほど。日本は紙をつくるのに向いている気候、風土がある。

 

岩泉:そうですね。だからこそ紙が発達した。

 

中村:なるほど。和紙ってもの凄く丈夫じゃないですか。僕も絵を描くときに、まず木製パネルに和紙を水張りします。和紙に水を含ませて伸ばした状態にして縁を糊付けすると乾くと綺麗にぴしっと張れる。でも、和紙って強いから、強く張り過ぎるとパネルの方が和紙に引っ張られてひび割れるって話を聞いたことがあります。それぐらい強靭な良い紙ができるっていうのは、まさに日本の気候のおかげだっていうことなんですね。

 

岩泉:だから、そういう意味では地域が持ってる環境とか、地域が画材を育ててるってことは絶対にあると思うんですよね。日本で紙が発達したけど、西洋ではキャンバスを作った。あとは油絵具というものが発達してくわけです。ヨーロッパは乾燥してる地域。油絵具って完全乾燥するのに80年かかるって言われてるんですよね。

 

中村:美大の受験とか、6時間で描くってのはとんでもないことですね。

 

岩泉:そうなんですよね。

 

中村:乾燥剤とか入れるからね。

 

岩泉:そうです。本当に芯の芯まで油だけで乾燥させようと思ったら80年かかるって言うんですね。そういう意味では柔軟性をずっと保ってられるっていう状態ですよね。

 

中村:そうか。修復もしやすいのか。

 

岩泉:なので、そういった意味では油が発達してくっていうのは当然のことなのかなというふうにはなりますね。 


中村:さっき北宋と南宋の違い見ましたが、日本の水墨画は南宋の影響を強く受けてるっていうことですよね。雪舟なんかもモヤモヤ系っていうか、空気遠近法的なイメージありますけど、今回、我々はテーマとして、「日本の画材の魅力」と言ってはいますが、実は「日本」って言ってしまうと水墨画ひとつとっても語りえない部分がたくさんあるということですね。日本だけで考えると見えなくなる部分が多い。

 

岩泉:そうですね。日本の絵画でも、当時は中国の影響が凄く強いわけですから。それを輸入して、数足りないから複製ってわけじゃないですけど、似たようなのを作ってく上でですね、自分たちなりのアレンジが加わってて進化をしていくわけです。

 

中村:単純に日本の画材の魅力って言った時に、日本の国境線で区切ってしまうのではなくて、やっぱり東アジア全体を見ながらという視点が大事だっていう、当たり前ですけど、ありますね。

 

岩泉:水のことをもう少し、これさっき言った水の話です。実際、左側が硬水で硬度が1600ぐらいの水で作った墨なんですね。右側が軟水で作った水です。比較的硬水の方が角が立つんですよね。やっぱり磨ってもらうのが一番分かりやすいんですけど、磨るとね、ガリガリガリガリ音するんです。軟水と磨るとヌルっとする。音しないんです。なぜかというと墨の中に入ってる膠が原因なんです。それが溶け出すか、溶け出さないかの差なんです。硬水の方は直に墨と硯が当たるんですよね。なので角が立っちゃうんです。でも、軟水の方は膠が溶け出すので潤滑油になるんですよね。なので、すっすっとやると丸くなってく。河原の石みたいな状態ですよね。それが最終的な色の発色の影響に出てくるってことなんです。だからいろんな諸条件で変わってきますよっていうのが、さっきの画像だったんです。

 硯に関しては取れた地域で水の影響があって、石が生成されるわけですから、石肌も変わってきちゃうし、日本の硯と比較しても石質が違うので、当然同じ墨を使っても硯が違うと色が変わっちゃうんです。

 

図10

軟水・硬水での磨墨液の比較写真 『墨の五彩』著:岩泉慧 2011年

 

図11

硯の違いが生む磨墨液の比較写真 『墨の五彩』著:岩泉慧 2011年

 

 

中村:お茶でも書道でも日本画でもいいですけど、道具になかり細かくこだわる方、僕はちょっと苦手なんですけど(笑)、やっぱり道具は風土によって培われ、表現に大きく影響を与えると。

 

岩泉:そうですね。マジックワードで語っちゃうから訳分からなくなるんですね。

 

|← 風土による視覚の感覚の違い。地域と移動の問題認知科学からのアプローチ。質感を醸成する重要なファクターとしての語彙の問題 →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (8)

認知科学からのアプローチ。質感を醸成する重要なファクターとしての語彙の問題


 

中村:日本とフランス、ヨーロッパの気候と景観の違いを取り上げつつ、素材と道具の風土との関わりについて話してきました。では、これらをもうちょっと科学的な視点で考えてみたらどうなるんだろう、我々の視覚の感覚を、例えば認知科学であるとか、生理学であるとか、そういう視点で考えた時に実際どのようなことが、絵の中で、頭の中で起こっているのか。例えば認知科学においてどのようなことが分かってきているのか。

 

三木:そうですね。認知科学のことを僕が話すのは荷が重いんですけど、今まで分かってることを並べて、後で質感の話と繋げたいと思います。で、これは有名な論文なんですけども、人類学者のブレント・バーリンと言語学者のポール・ケイが、全世界に98種類の言語を調べて、11の基本色彩語があると報告しました。「Basic Color Terms」っていう論文で、最近翻訳が出たんでぜひ読んでいただきたい名著です。当時、カリフォルニア大学バークレー校を中心に行われた調査だったと思います。

 言語学とか、人類学っていうのは基本的にはヨーロッパの方で発達したものです。なぜかというと植民地があるからなんですけど。植民地の人たちがどういうような言語を持って、どういうような知覚をしているかっていうことを人類学者や言語学者が調べたわけです。その中でもっとも重要だったのは色だったんですね。色によってどういう語彙があるのか、どういうような認識をしてるのかっていうことが分かるので。昔はですね、色が少なければその色が見えてないとすら思われてたんですが、それは色覚の調査をすることによって色は見えてるけど、語彙だけが少ないんだっていうことが分かったんです。それまでは、人種によって色の感じ方っていうのはかなり違うと思われてたんです。しかしバーリンとケイっていうのは再びダーウィニズムというか、進化論的な発想を呼び起こしてですね、世界各地11語に関してはみんな同じ色を感じてると。2色とか、少ない言語もありますけど、どんどん発達していくうちに分岐していって11まで至るっていうような論文を出しています。ただですね、それはバーリンとケイらによって改定されていて最近は基本色彩語は6色ぐらいじゃないかと言われてたりもしています。

 

中村:減っちゃったんですか。

 

三木:「Basic Color Terms」は存在して、白、赤、黄、緑、青、黒の6色は基本色彩語だけどオレンジ、ピンク、紫、茶色、灰色の5色はその組み合わせとして除外されて、11色ではないというように改定されたということですね。
 言語の違いや、何か指し示す言語があるかないかで認知も変わる、ということは議論の対象になっています。基本色彩語に関係しているのですが、少なくとも知覚にも影響を与えるんじゃないかということを実証している研究もあります。それはどういう原理かというと、ロシア語には明るい青と暗い青の区別があって、それによって知覚速度がロシア語を母語する人と、そうじゃない人で青いところの反応の速度が違うんです。だから、やっぱり言語によってかなり知覚にも影響を与えるってことが分かり始めてる。ただ「Basic Color Terms」というのは、カテゴリカル・カラーネーミングと言われる広い範囲のことなので、慣用色名のような細かい語彙が、どう影響をするかという研究まだ分かってないと思います。
 これは参考ですけどMerz&paulの4583色の色名辞典があるんですが、なんでそんなに英語圏の色の名前が多いかっていうと、元々多かったわけじゃなくて19世紀に人工的なケミカルな顔料とか染料とか、たくさん発明されて急激に増えたんです。
 たぶん通常使ってるのは、もっと少ないと思います。で、これは『フランスの色景』の中に書いてあるんですけども分布を見たら結構違うのが面白いなということもありまして。

 

中村:なるほど。例えばフランス人と日本人でよく見える色が違うということがあると。

 

三木:言語がそのまま知覚に対応しているというわけではないと思いますが、例えばですね、フランスの色名なんかで言うと明度が低いけども、彩度が高いというのが多いんです。ここの配色とか、あとこういうところは詰まってたりします。


中村:お洒落な色ですね。

 

三木:つまり日本だったら全部原色にしてしまうところを。

 

中村:ガンダムカラーになっちゃうところを、落ち着いた、ちょっと洒落てるな、みたいな色になっている。

 

三木:ちょっと明度を下げればいい。そういうテクニックは日本になくて。だから、日本は元々柳田國男が「天然の禁色」と言ったようにですね、天然の染料ばっかりだったから、彩度の高い色はあんまり出せないんですね、明治以前というのは。

 

中村:天然染料だとそうですね。蛍光色みたいなのはないですもんね。

 

三木:ないんです。だから、凄く痩せているし、こうやっぱり身体も痩せてるんですね。

 

中村:身体が痩せてる?

 

三木:色を身体に見立てると、ということなんですが、日本の慣用色名は色立体の中でりんごの芯みたいな状態ですね。それとこういうのとフランスなんかでも詰まってるとか。こういうところが多いのはやっぱり。

 

中村:日本側には全然ないですね。

 

三木:そうですね。この辺多いのはワインとかね。フランスの色の名前ってどんどん作られてるわけなんですけど、やたら食べ物の名前が多いっていう。だから、食べ物との接点とか、味覚との接点とかも結構やっぱあると思うんです。だから、言葉が知覚に影響を与えるっていうのはあるんじゃないかっていうふうには思っています。


中村:また関西と東京の話すると、大阪から浪人して東京に来たとき、ラーメンとかチャーハンを見て、色がない!と思ったんですよ。ねぎが白いから。なんか東京の食べ物って色がないなと思って。ちょっと寂しいなと思うんですよね。なんだか茶色いし…(笑)。
 ところで、これは三木さんが作られたソフトなんでしょうか。

 

三木:僕がディレクターになって作ったソフトです。

 

中村:3Dでこの分布を見れるんですね。

 

三木:はい。西洋人は立体志向なので、たぶん昔は頭の中に描いて作ったんだと思うし、マンセルなんかは本を読んでも色立体ってどうなってるか相当シミュレーションしていて、結構正しいんですよね。
 日本にはこういう頭の中で立体をイメージするってなかなか難しいんですけど、西洋人の、彼ら考えた人でも、実際の立体なんか見たことないわけですよ。特にトーンなんていうものは色立体だとリング状になってるわけなので、それを立体で、しかも輪になった部分を想像しろっていうのはかなり難しい話で。おそらく当時の人たちはこういうのを見たかったんじゃないかと思いますけど。こういうのを我々はテクノロジー使って見れるので、凄くラッキー。

 

中村:凄い。なぜかそれを日本人が作っちゃったわけですね。

 

三木:そうなんです。僕は日本人じゃなかったんですね(笑)。嘘ですけど。こういうふうに分布なんかが、これ日本の色ですけど。フランスの色なんかは、これかな。これですね。こういう感じ。

 

中村:全然違う。


三木:特にどこが違うかって言ったらここの、これはトーンって言われるものです。フランスの伝統色は、この辺の色ですね。

 

中村:素敵な色ですね。

 

三木:素敵な色なんです。こういうような色が使えたら。

 

中村:ブドウとか、ワインとか、思い出しますね。

 

三木:やっぱりね、ちょっと派手なんだけど何となくいい感じになるのは明度をやっぱり抑えてるんですよね。そういうのはやっぱり上手いなって。日本では、この辺の色はないですよね。日本は江戸時代に奢侈禁止令があったんで、四十八茶百鼠とかって俗に言われていて、灰色や茶色が多いとされていますJISのものから取るとそれほど多くないんでけどね。その後、明治以降は外来色がこうやって増えるんですけど。

 

中村:これはJIS規格ですね。

 

三木:JIS規格の慣用名の和色名の分布をプロットしています。明治以降は外来色名になるので、カタカナが増えるんですけど。それも結構問題というか、ある程度日本語の名前を…。

 

中村:当てはめてはいかなかった。

 

三木:当てはめたこともあるんです。例えば新橋色とかね。あるんですけど、百貨店の人が文学者に依頼した色名とか、でもそれはほとんど残ってないんです。だから、今は由来が分からないカタカナの名前を作ったりとかしてるから、やっぱり感覚と結びつきにくいですよね。フランス人が食べ物と名前でマカロンとか言ってるのとはやっぱ違います。というような問題があって、僕は新しい日本の色の名前を作った方がいいんじゃないかとはずっと提案しています。

 

中村:日本画の顔料は、出典を知らないからでしょうけど、不思議な色名もたくさんありますよね。

 

岩泉:そうですね。

 

中村:漢字で書くし。

 

岩泉:だから、新橋とか、納戸色(のといろ)とか、あ、いや納戸色(なんど)だ。納戸色とか。

 

中村:新橋って何色?

 

岩泉:新橋は水色ですね。

 

図12

新光箔 《納戸色》

 

図13

新光箔 《新橋色》

 

 

中村:なんで水色なの。

 

岩泉:それは調べたんですよ。新橋芸者がその頃よく着てた色だから新橋色って言って、納戸色とか、うす納戸色ってそれも調べたんですね。そしたら、暗がりの中で納戸を開けた時の明かり入ってきた暗がりの色が緑がかかったような、青みがかったような色だから。

 

三木:通じないですよね、今じゃ。

 

中村:じゃあ、AKB48からいただきましたノリで色名つくってもいいのか。

 

岩泉:そうですね。新橋色だと初音ミクのミク色になりますかね。

 

中村:本当だ。初音ミクの色だ。

 

三木:だから、まさにそういうことでもっとね、だから僕らの世代が知ってる名前でミク色とかつけた方がいいと思うんですね。

 

中村:「ウルトラマリン」とか「ビリジアン」とか言ってる場合じゃない!と。

 

三木:そうそう。ミク色って言えばいい。

 

中村:そうかあ、そういう提案もありですね。フランス人は食べ物から色名をつけているのが多いという話がありましたが。

 

三木:というのもあるし、味覚も多いっていうのもあるし、フランスの場合だとそのインターナショナル・クライン・ブルーみたいなアーティストがつけるケースもありますよね、ああいうのは結構面白いと思いますね。だから、中村ケンゴ色とか。

 

中村:自分でも作ってもいいっていうことですよね。

 

三木:アニッシュ・カプーアがね…。

 

中村:真っ黒のやつですね。

 

岩泉:「ベンタブラック」ね、独占しちゃいましたけどね。

 

三木:独占したね、またそれに対抗してみたいなありますけど。彼らはインターナショナル・クライン・ブルーもちゃんと特許取ったりしてますしね。だから、ちゃんと色に対する権利意識があるんです。この色は僕の色だっていうのがある。
 質感に移ったほうがいいですかね。この本にも書いたんですけどミシェル・パストゥローという有名なフランスの色彩学者、元々は紋章学者の方がいて、『ヨーロッパの色彩』っていう本を書いています。
 元々、紋章学者で紋章の配色の組み合わせ研究していて、色彩の変化に気づくんですね。どの時点でヨーロッパで色彩革命が起こったかみたいな。大体、12世紀頃に色彩革命が起こったと言われてるんですけど。そこから色彩がどんどん自由になっていくんです。
そういうヨーロッパの色彩の変化を研究してる『青の歴史』っていう有名な本があるんですけど。その『青の歴史」に続いて、緑とか、新しい色を足していってます。『ヨーロッパの色彩』には、色彩っていうとパラメーターが明度とか、彩度とか、色相とかになりますが、日本人なんかは別のパラメーターを持っているということで質感についてふれています。つや消しと光沢ですね。特に写真における印画紙のなんかにつや消しとか、光沢とかって。あれで、日本人の感覚というのを向こうでも知ったと。

 

中村:つまり、つや消しと光沢っていう区別はヨーロッパにはなかったと。ヨーロッパの人たちは日本人がしている区別を見て気づいた。

 

三木:日本の印画紙を見て、質感の違いに気づいたってことなんですね。

 

中村:たしかに日本人はつや消しと光沢、どんな人でも普通にその違いを感じることができそうですね。

 

三木:そうですよね。普段でもそんなこと感じていますから。じゃあ、その質感に引き続きますね。

 

|← 画材の特性の観点から見る色彩の地理学質感に関する研究について →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (9)

質感に関する研究について


 

三木:この話受けて僕がフェイスブックでそういうことを書いたもんだから、質感について話してくれって言われて、そんなに知らないので1から調べなくちゃいけなくて。それで最近、質感の科学という研究が日本でも活発になっておりまして、生理学研究所(当時)の小松英彦さんを中心に2011年から文科省の予算で大規模な研究グループで進めています。

 

中村:現在進行形の研究だということですね。

 

三木:はい。質感っていうものが世界的に研究課題になっていて、日本なんかでもかなり活発にやっているっていうことです。小松先生は質感認知を、感性的なものと知覚的なものという2つに分けています。ざくっと説明すると、物体の三次元形状と物体の光学的特性、照明環境からなる光線パターンによって脳が処理してるってことなんですけども。
 照明環境っていうのはライティングだけじゃなくて自然光と人工光も含めて。光学的な特性、反射率とか、そういう光線パターンを使ってそれを認識してるってことです。
 こういうものが今まで認知科学的、神経生理学的、脳科学的なところでやられてなかったんですね。特に2000年に入ってから重要なものが出だして、2010年に活発になりだしたっていうのが最近の、本当に最近のことです。僕も色彩のソフト作っていて、そういうメーカーには次は質感のことをやってくださいってよく言われました。その後、僕はそこから離脱したので、放置したらこんなに進んでたっていうことで驚きました。それで、小松先生実際お会いして。完全に関西人の方で安心しました(笑)。


中村:生理学研究所はどこにあるんですか。


三木:岡崎にあるんですね。行かれた方もいるかもしれないですが、生理学研究所の横に基礎生物学研究所ってあります。基礎生物学研究所は昨年大隅良典さんっていう方が「オートファジーの仕組みの解明」でノーベル賞取られました。
 小松先生は研究グループのリーダーなのですが、その本の中に、現在東大の先生をされている本吉勇さんという方がおられます。本吉さんは、絵画の様式はかなり気候に影響を受けていることをこの本で書いています。地域性みたいなものが人間の感性にどういう影響を与えるかっということが検証し始められているでんです。
 やっぱり太平洋、日本の気候みたいなものとヨーロッパの地中海性気候みたいなものは全然照明環境が違うので、それによって質感の知覚や感性に影響及ぼしてるということですね。小松先生は「色覚とは物体固有の表面反射率を知る機能と考えることができると前節で述べたが、それが広い質感或いは材質認知の機能の一部と位置付けられる」(小松英彦「色と質感を認識する脳と心の働き」『芸術と脳』大阪大学出版会、2013年、p.212)と書いています。ずっと色彩の話してましたけど、小松先生は、色彩というのは質感を認識するための一部の機能であるということを言われてるわけですね。

 

中村:色彩は各論なんだ。

 

三木:各論なんですよ。だから、要するに人間が生存するにあたって、遠くから見て光の状態の表れだけでこれが硬いとか、柔らかいとか、暑いとか、寒いということが分かるという、それが生存にとってもの凄い重要なことなんで。

 

中村:それが分からないと生死に関わりますからね。

 

三木:そうです。これが冷たいのか、硬いのか柔らかいのか、我々は分かりますよね。それってほとんど超能力ですよね。遠くからでも硬いか柔らかいか一瞬で分かるわけですから。凄く当たり前のことをやっていたっていう事実を突き止め始めたってわけですね。特にコンピュータグラフィックスが発達して、シミュレーションできるようになったからなんですけど。それとMRIみたいな脳のどこの部位が反応するかっていうのが分かるようになって、シミュレーション画像を見せてMRIでどこの部位が反応するか調べて、どこの部位が質感認知なのかっていうことを調べていくわけです。

 

中村:VRなんかも、そういうことが分かってないと作れないですもんね。

 

三木:それがないと、コンピュータグラフィックスもちゃっちいものになってしまいますね、逆にいえば、コンピュータグラフィックスが発達したから質感の研究もシミュレーションができるようになったわけです。
 先ほどの本吉さんの生態光学起源説というのは照明環境が絵画様式に影響を与えるという説ですが、光が強いと立体感があって、質感がしっかり現れているんですが、光が雲や空気の湿度で回り込んでしまうと平面的で質感はぼやけてしまうわけです。

 

中村:確かに我々の視覚の方は平面的なんですね。

 

三木:そうです。てかりが現れにくいので…。

 

中村:どちかというと空気遠近法的な認識になるってことですよね。

 

三木:そうそう。生態光学っていうのは知ってる方いるか分かりませんけど、J.J.ギブソンっていう視覚心理学者の人が作った言葉ですね。生態ってエコロジカルっていうことですけど。そういうようなものを引用しつつ、こういうことを言ってます。

 

中村:先ほど、質感の表現で、つるつる、ぴかぴか、てかてかみたいな言い方があったと思うんですけど、メールのやり取りしながら打ち合わせしてる時に、そのオノマトペの問題、語彙の関係と関連して、日本語にはやたら擬態語が多いっていう話がありましたね。

 

三木:その前の色名があるかなしかによってあるところ、ないところはノーネームランドっていうんですけど。

 

中村:ノーネームランド、色名がないところ。

 

三木:認知の外にあるみたいな感じです。そういうようなこと言うんですけど。その考え方でいうと質感に関してもこれだけオノマトペがあれば、質感の感覚も発達してるんじゃないかというような話を、小松先生の研究を知る前にそういうことを書いてたんですね。やっぱりオノマトペから質感を研究してる方おられます。

 

中村:なるほど。我々日本人は、日本人はっていうのもなんですけど、モンスーン気候に住んでる人間っていうのは色に関しての反応する幅は狭いかもしれないが、こっちのつるつる、ざらざらの方は幅がいっぱいあるぞと。

 

三木:たぶん。

 

岩泉:そのオノマトペを調べてたら、隈研吾さんは実は全部オノマトペで作ってるっていう本があって、だから事務所の中の会話は全部オノマトペなんです。つるつるのものとか、もしゃもしゃしたものとか、全部それで伝達するから、うちの事務所赤ちゃんっぽいんですよみたいなことを。


中村:岩絵具はよくざらざらっていうんですよね。僕も説明する時に、ちょっとざらざらしてるんですよって言ってるんだけど、それは英語にする時にどうすればいいのかなって。訳しづらい、当てはめづらいオノマトペもたくさんあるかもしれないですね。 ざらざらくらいはあると思うけど。

 

三木:それはやっぱりね、ざらざらを広めた方がいいと思いますね。

 

岩泉:ざらざらというものを。

 

中村:英語でもZARAZARAにする。


三木:やっぱり旨味みたいな形で。だから、やっぱり言葉がないから感覚が…。

 

中村:フィードバックされないんですね。

 

三木:やっぱり旨味っていうことも、旨味って名づけたことによって、これが旨味なんだっていう話。

 

中村:分かります。彼らはワインでも凄い変な表現とかするじゃない。「雨に濡れた子犬の毛皮の匂い」とか(笑)。彼らはそれで通じるわけですよね。だから、我々にもそういうことがあると。

 

三木:あると思います。

 

中村:要するに日本語っていうのはこの風土のなかでオノマトペが非常に発達してるのではないかという仮説があるってことですね。

専門家の人に聞いてみたい。

 

三木:また何かの機会でお呼びできればね、良いと思います。

 

中村:質感の研究というのはまさに今行われていて、これからいろいろなことが分かってくるのではないかということがわかりました。

 

|← 認知科学からのアプローチ。質感を醸成する重要なファクターとしての語彙の問題産業界との関連(自動車や化粧品業界などにおける色彩の研究&ファッション) →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (10)

産業界との関連(自動車や化粧品業界などにおける色彩の研究&ファッション)


 

中村:では、質感の研究も含めて、美術の世界だけではなく、産業界においてはどのように扱われているのかという話もしておきたいです。僕も岩泉さんも美術の人間なんで、例えば色彩に関しても、どうしてもその中に閉じこもりがちなんですが、実際はこの世の中、色を扱う仕事に溢れていて、それがどのように研究され使われているのかっていう話も聞いておきたい。三木さんは例えば、自動車メーカーと組んで研究なんかもやられてたということで。

 

三木:昔ね、公開されている部分だけお話します。通常企業とやる場合はNDA(秘密保持契約)というのを組みますので、その時に知った情報は話したらいけないってことになってるんですが。特許に出たものは、公知なので、それは構わないとは思います。で、その前提で、僕が色彩のことをわりと企業の方とやってた時からすでに質感のことをやってくれというのは散々言われてましたし、質感をどう評価するかっていうことはずっと課題だと思うんです。

 

中村:自動車に関しては基本的には自動車の色、塗装のことなんですか。

 

三木:自動車に関しては、塗装メーカーの方と一緒に開発します。高額なものでは、5層くらい塗って、中に光輝材をくさん入れたりします。パールとか雲母系の素材など。あんまりてからないものと、てかてかしたものとか、凄く種類があると思うんですけど。そういうのをどうやって開発するかっていうのは本当に課題なんですが、同時にそれをどう評価するのかっていうのも課題なんですね。言葉を名づけて修正を指示しなければならないし。

 

中村:そういう質感を表す言葉がない。

 

三木:はっきり対応付けはされていないと思います。

 

中村:素材と質感を名付けて規定していかなくてはならない。

 

三木:そうですね。塗料メーカーの人が新色を提案してきて、それを車の場合だったらカラーデザイナーがその中から選んだりとか、もっとこうしてくれと要望をいう中で、新しい色が出てくるわけです。

 

中村:やっぱり車の塗装の質感ひとつにおいても、それで売れるか、売れないかっていうのが大きく左右される可能性があるってことですか。

 

三木:あると思いますし、やっぱり商品っていうのは大体機能的な開発が終わったら色とか、そっちに行くんですよ。

 

中村:コモディティ化しちゃうとそっちに行っちゃう。iPhoneも色増えるしね。

 

三木:色増えだしたら、もうちょっと商品が終わったなと思った方がいいと思うんですけど。


中村:ここPIGMENTにもマツダの方がいらっしゃったとか。美術の人ばかり来ているわけじゃなくて、そういう人たちも興味を持っていらっしゃっていると。

 

岩泉:そうですね。あとはやっぱりファッション関係の方、研修でですね。意外に色のことを彼らも知らないってことで、ここで新人研修みたいのとか。後は海外のお客さん、メーカーさんの海外のお客さんにここでレクチャーしてほしいとかありますね。普通に来たお客さんで、普段ここ机が並んでるんですけど、手帳開いて自分でカラーデザイン始めちゃう人とか。見てて面白いですね。絵描く人以外が来てる感じで。

 

中村:色彩産業というのはやはり基本的には自動車が一番だということですか。

 

三木:たぶん、すべての産業の中で一番大きいのは自動車だと思います。塗料なんかのシェアも自動車が一番大きいですから。その後ファッションだとか。

 

中村:化粧品。

 

三木:そうですね。化粧品になると思います。

 

中村:化粧品こそ、肌に塗るものだから質感が重要な気もします。

 

三木:化粧品は僕、具体的に仕事したことないので、細かくは分からないですけど、かなり研究は進んでいます。

 

中村:我々がつるつる、ざらざらというようなことに敏感だとすれば、女性でも男性もなんですけど、肌の状態と色彩、肌の状態を言葉で表すということについては、日本の企業、化粧品産業っていうのは何かそこアドバンテージがあるのかもしれないとは考えられますかね。

 

三木:この質感の科学の中に肌の研究をされてるところも入っています。先ほどの話に戻ると質感の感覚も色彩の感覚も元々肌を見分けるために発達したと言われてるんですね。

 

中村:そうですよね。我々は意識的にも無意識的にも、肌のつやや色からその人の健康状態を感じていますから。

 

三木:そうです。だから、相手が顔赤くしてですね、馬鹿なことして、それで怒ってるとか、それでその健康状態が良いとか、そういうことを見分けるために色覚自体が発達したっていう説があるんです、そもそも。

 

中村:凄く納得がいきます。

 

三木:だから、その延長線にね、赤いネクタイかければいい、とか色彩心理学があったりするんですけど。遠くのものを把握する能力っていうものの発達は、人間の、相手の状態を知るためっていうのが一番だと思いますね。

 

中村:それで脳もその部分が発達するってことですよね。

 

三木:それが先だと思います。ただその話を小松先生としていて、顔ニューロンがあるとか、あと光沢ニューロン。

 

中村:顔ニューロン?

 

三木:顔認識するニューロンというのがあるっていう話をしていて、ヨーロッパ人の方が顔ニューロンが多いとかなんとかって話を小松先生としてたんですね。ヨーロッパの人は目を見ますよね。

 

中村:目、いろんなことが読み取れそうです。

 

三木:僕は中村さんの顔をちゃんと見たの今が初めてぐらいですよ。

 

中村:たしかに見つめ合ったの初めてです(笑)。

 

三木:だから、なかなか顔と目と。

 

中村:そうか、日本人は彼らに比べてそんなに目をじっと見て話し合う習慣はないですね。

 

三木:そういうようなことをしなくて、目を見ずに様子をうかがう感じぐらいで。能面でもそうですよね。

 

中村:確かにそうだ。

 

三木:能面なんかも角度を変えたりして、表情を出しますけれども。だから脳科学の方は、何を見ると細胞が反応するかというのも調べています。

 

中村:それはやっぱり絵画を見る時もその違いが現れるでしょうね。何を見てるかっていう部分。

 

三木:そうですね。

 

岩泉:顔色伺うってありますもんね。

 

三木:気色ばむとかね、気色悪いとか。全部、色っていうのは相手の顔色っていうのに凄く関わってるんですね。

 

中村:当たり前の話ですけど、画家っていうのは色の組み合わせや対比によって、どのように見る人の感情に働きかけようかと考えています。

 

|← 質感に関する研究についてまとめ →|

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |
色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (11)

まとめ


 

中村:ということで、最後に今まで話してきたことを踏まえて、三木さんのソフトを使って具体的に絵画作品の色彩分析をしたいのですが。

 

三木:参考文献がないと、著作権的に問題なので、こちらの画像にしましたけど。

 

図31

藤田嗣治《猫と横たわる裸婦と猫》(1911)の色立体分布 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』中日新聞社、p.89より

 

図32

藤田嗣治《猫と横たわる裸婦と猫》(1911)の色名分析

 

 

中村:最初に話したフジタの作品をちょっと分析してみようっていうことですね。

 

三木:もうほとんどね、色相の範囲がもの凄く微妙で。

 

中村:色はないです。

 

三木:ほぼないですね。それでちょうど白いところも凄く狭いですね。明度が少しあるくらいで。おそらくこれはもう後で仮説のお話しますけど、材質を見せるためにやってるんじゃないかという気はしますね。なんだっけ。なんか赤ちゃんのパウダー。

 

岩泉:タルクですね。

 

三木:という感じ。

 

中村:ちょっと胡粉みたいな感じもありますけどね。つまりこの場合は画像だけを見ても、この絵の魅力っていうものがほとんど分からないといっていいのかもしれない。

 

三木:そうですね。たぶん、生で見るものなんでしょうね。

 

中村:ただやっぱりこの画像だけを見て、この絵が痩せた絵に見るかっていうとそうでもない。ちゃんと豊かなものに見えますけどね。それはどこかで互換してるのかもしれないし、ちょっと分からないですけど。

 

三木:そうですね。で、これ肌の色と質の。これも後で比較しますけど、ちょっとフジタの絵の肌って緑がかってて、ちょっと病気っぽい。

 

中村:その辺ってヨーロッパの人がそういうの好きだからっていうのがあるのかな。

 

三木:いや、たぶん違うと思います。

 

中村:フジタ個人のやり方だと。

 

三木:だから、クラーナハを見てると赤よりになるし、もっと高彩度ですね、クラーナハでも、あんまり西洋的なというか、立体的な画家じゃないにも関わらずです。

 

図33

クラーナハ《眠れる女》(1931)の色立体分布

 

図34

クラーナハ《眠れる女》(1931)の色名分析

 

 

岩泉:今ちょっとふと思った。もし質感で、展示する場所までフジタが考えてたとしたら、あえて緑色よりにすることで、もしこういう白熱色で…。

 

中村:黄色い光ですか。

 

岩泉:に合わせてちょうどフィットするようにしたとしたら補色だからちょうどいいのかなって一瞬思っちゃったんですけど。

 

中村:当時はまだ蛍光灯とかあんまりなさそうだし。

 

三木:どういう環境で見てたんでしょうね。気になりますね。ティッツァーノなんかもやっぱり素材も似ているし、色相も緑なんですけど、明度幅が大きいですね。

 

図35

ティッツァーノ《フローラ》(1515年頃)の色立体分布

 

図36

ティッツァーノ《フローラ》(1515年頃)の色名分析

 

 

中村:色の構成、3枚とも同じだけどこんだけ違うんだ。

 

三木:結構、違うんですよね。ただわりと立体的に描いてるのは描いてるってことですね。その辺がね、ルネッサンスでもイタリアとドイツと。


中村:そうですね。やっぱりイタリアの方が色彩的には強いイメージありますが。では、僕の絵を見てもらえますか。

 

三木:これ中村さんの《Without Me》っていう作品ですけど(図37、38)。所謂、その西洋的な補色を使っていうのは全然ないですね。やっぱりその色相環の対比っていうようなことが意識されてるわけではないし、トーンに関してもそれがまとまってたりとか、それと対比されるっていうふうにも見えないし。いわゆる、西洋の配色ではあんまりその調和してないとされるような関係なんで。

 

図37

中村ケンゴ《Without Me》の色立体分布

 

 

図38

中村ケンゴ《Without Me》の色名分析

 

 

中村:そう言われると確かに調和してないなっていうのがよく分かりますね。こういう分析を初めてしてもらったんですけど、色のバランスは見てはいるのですが、明度と彩度に関してはあまり意識していなかったことが今回分かりました。というか調和させようという意図が元々ないともいえます。最近はモニター上で、RGBで色を見ているということも何か影響があるのかなとも思っています。

 

三木:モニターの影響は結構あると思いますよ。だから、写真なんかで写真作家の分析もしますけど、やっぱどんどんどんどん彩度が高くなってる。

 

中村:デジタルカメラの色になっていくんですね。カメラの場合はテクノロジーの問題もあるけども、絵画の場合は絵具なので、その色がモニター上の色を参照してるってことは、僕の場合は十分にあるので。僕だけじゃなく結構強い色使う画家が増えてきていると感じるのは、そういう影響はあるんじゃないかな。

 

三木:中村さんのやつなんかは日本の色名で抽出したらこんな感じですけど。ただね、割合として全部少ないですね。

 

中村:岩絵具使ってるのにね。

 

三木:そうそう。それはさっき岩泉さんともお話しましたけど、明治以降にかなり西洋のビビットの色を意識して、ビビットにしていったっていう傾向があると思う。

 

中村:さっきも言ったように油絵の影響を受けて日本画ってできてますからね。

 

三木:だから、フランス式の方が色がでますね。もうこっちの赤なんかもうほとんど全部こんなんですからね。

 

中村:僕の絵に「ルー・ドゥ・ブリュス」入ってるのか!

 

三木:パーセンテージを見てくださいよ。ちょっとしか入ってない(笑)。

 

中村:なるほどね(笑)。でも、面白いですね。

 

三木:だから、やっぱり中村さんの絵なんかは元々の色彩感覚なんかは日本だけども、西洋的な色とか画材を使ってるって感じですかね。

 

中村:なるほど。日本の絵画と西洋の絵画の違いというのはどの辺になってくると言えますかね。

 

三木:僕の個人的な意見はですね、一応絵画を定義すると今は少し事情が違うかもしれませんけど、平面の視覚情報で現実感を人工的に作る、ということだと思います。

 

中村:外在する世界を二次元に再現するってことですよね。

 

三木:現実感ですよ。現実ではないです。で、たぶんこういう関係だろうと。色覚は質感の中ですね。

 

中村:質感が先なんですね。

 

三木:照明環境、表面の色、表面の形状からなる材質から質感の関係があると。日本画の質感ということを言うと質感といっても二つあって、素材の質感は材質感で、錯視、イリュージョンの質感っていうのと分けて考えるべきだろうと。
 それによって日本画の質感があるんですけども。日本の質感の感覚っていうのはおそらく素材の質感を重要視する方法だと思いますね。素材の質感を有効に使う表現方法であるのではないかという仮説が考えられます。フジタなんかの作品でも、そのパウダーとか分かりませんけど、絵画なんだけど、ぐっと素材そのものの質感が現れてくるような。

 

中村:裸婦を描いてはいるんだが、肌を表すと同時に絵画としての質感も表していると。

 

三木:そうです。だから、そのイリュージョンとして再現してるというよりも、素材そのものが魅力を出してるっていう方法なんじゃないかなと最近は思っています。だから、結論としては、西洋画のようなよう質感の再現、錯覚表現ではないと。

 

中村:イリュージョンによって現実感を表すというよりは、目に見える、絵具の即物的な面がそのまま見えてくる。

 

三木:そのものですね。これは画材の魅力ということで、ここは画材屋さんなので、最後に画材のプロモーションしないといけないということで(笑)。ここに落とし込まなきゃいけないということを逆算して考えたことではありますけど。

 

中村:それ言っちゃお終いのような気がしますが(笑)。でも、面白い意見をいただいたと思うので、僕も作家仲間とこの話はしてみたいなと思います。ということで、作品分析の中から三木さんに日本の絵画の特質みたいなことを提示していただきましたけども、最後にそれぞれ一言ずつ。岩泉さん、いかがでしたでしょうか。

 

岩泉:そうですね。なんか逆に今の三木さんの補足っていうか、補強になるかもしれない。材質感っていうのは実はそれこそ本当たまたまなのかもしれないですけど、特に顔料ですね。顔料を使う上で混ぜるバインダーで色変わっちゃうんですね。例えば、膠だったり、油だったり、アクリルだったり、アラビアゴムだったり。


中村:どういうメディウムを使うかで。

 

岩泉:全部変わっちゃうんですよね。そういった意味では特に所謂日本で一番使われてる膠は、本当に所謂材質感、本来の物が一番現れる仕組みになってるんですよね。油画はすべてを油でコーティングしてしてしまって、油が表面質感でしょ。だから言ったら、さっきも言ったからちょっといいですか、モトヨシさんのやつ分かりやすいです。あれいいなってちょっと思ったんですけど。

 

三木:これ。

 

岩泉:これですね。そういう意味では要は全部油の質感でコーティングしてしまって、そういう意味では顔料を均一化させるんですね。均一した質感にして要は錯視を生むようなことができるんです。逆に膠ってなると、特に材質感がもろにでちゃうんですね。どう頑張っても。なので、そう考えていくと材質感をいかに見せてやってくかってことにも繋がってくるので。

 

中村:基底になる紙とか、シルクであるとか、そういうものがそのまま見えてきてしまうということですね。

 

岩泉:そこでの対比感とか、やっぱり後は基本的にはどっちかというと、調度というか、置物って、やっぱり襖絵とかだとインテリアとしての役割が強かったので、そこでの空間において合うか合わないかっていう話にもなってくるので。

 

中村:そもそもファインアートじゃないものね。近代以前の日本のものは。

 

岩泉:そうそう。金箔の絵画もですね、当時は暗い中で光を増幅する装置としての金箔なので、やっぱりそう考えてくと材質感を生かした絵が描かれてるってだけで、本当に偶然っちゃ偶然なのかもしれないですけど。そういうのをみなさん見てきたからこそ、素材として発達してきたのかなと。

 

中村:僕からは少し概念的な話になるかもしれませんが、最初に紹介したランクロ夫妻の「色彩の地理学」では、ランクロさんたちがフランスの地方の色というのをずっと調べていくわけですよね。それぞれの地方に様々な色があって、それはフランス全体の色を形作ってるけれども、「フランスの色」というものはない。それは「日本の色」というのもないということだとも思います。明治期、日本画が誕生したばかりの頃は、「ローカルカラー」という、つまり国家を表す色とは何かという、極めて政治的な議論があったのですが、沖縄と京都と北海道の色が同じわけがないと。色というものは、風土、そこで育まれた文化との関わりの中で生まれた、それぞれの土地独自のものがあって、モダンアートでもその影響を考えることは重要である思いました。
 一方でそして岩泉さんから、絵具はじめとする画材の組成を見せてもらいましたが、そうした画材を合理的、科学的な視点で見てみると、その元々は鉱物であったり、ガラスであったり、そういうものですよね。そしてメディウムにも様々な性質がある。そこから即物的に具体的に、その性質から何ができるかってことも考えらるわけですね。そういう視点から今規定されているジャンルの形式に捉われないかたちで絵画が作れるし、作られているとも思いました。

 

三木:今回中村さんからこういう話をいただいて、僕が画材とか、色彩とかそういうもの専門ではないですけど。日本画、日本絵画の魅力みたいなものが何かってことを再び考えるようになって凄く興味深かったです。やっぱりそれなりに日本人とか、日本の地域性みたいなものが持ってる特長はあると思いますし、その上のそれだけじゃない日本の地域性を越えたものもあると思います。質感の研究は現在進行形のものですから、できればいろんな方に参加していただいて発展させていければいいのかな。

 

中村:視覚の認知、質感の研究というのはまだ始まったばかり。

 

三木:そうですね。特に芸術に関してこういう工学的、認知科学的アプローチっていうのは非常に少ないですから。

 

中村:僕も今回初めてですね。この企画やってみて非常にそこが面白かったなと思います。ただそういう意味ではまだ仮説が多いってことですよね。

 

三木:仮説は多いです。

 

中村:ということはここで議論を終わらせてしまうともったいないと。

 

三木:そうですね。ですから、セミール・ゼキさんっていうロンドン大学の有名な神経生理学者がいて、モダンアートの分析などもしてますけど、そういうような本当に最先端の研究者とアーティストなんかが組んで新しいことを発見していければ面白いんじゃないかなと。

 

中村:今日の話は本当に仮説が多いので、できればみなさんにもこの議論に参加していただいて、SNSでもいいですし、いろんなところから突っ込みをいただきながら、この議論続けていければと考えています。多くの方のお力をお借りして仮説を証明できる方向に進められればと。

 

三木:そうですね。結構、専門の方もお呼びして。

 

中村:ということで、最後に質疑応答の時間取りたいと思います。ご質問、ご意見あれば。

 

質問:今日はスタッフとして聞かせていただいたんですけど。日本人のつや消しと光沢が明治以降輸出されたみたいなお話とか、いろいろ興味深いお話があったんですけど、自分は専門が油絵なので、その観点から、油絵もやっぱりルネサンスの頃は凄く艶があるニスなんかを多く塗って、光沢のある画面にしてたんですけど、やっぱり美術史の流れの中で印象派の時代になると、そういった過去の歴史を乗り越えていく過程の中で蜜蝋というつや消し成分を含ませてマットにしていくっていうような部分があったりして、欧米人は欧米人でそういった形でつや消しと光沢っていうのを1つ考えてた部分があるんじゃないかなというのがありました。その観点からもう1つあげると、ルネサンスの頃の油絵と近代になるにつれて描かれる油絵ってちょっと描かれ方が異なっていまして、昔は石膏を地塗りした白い画面に、当時の油絵具あんまり厚塗りができなかったっていう側面があったので、その素材感を生かして薄く薄く重ねていって、最終的に現れる画面上でもちょっと石膏上の地塗りが透けて見えるような。クラーナハの時代もちょっとそういったところがあったんですね。で、ルネサンスから印象派になってくると、そういった面でも筆致ですね、あえてそれらを合わせていって、イリュージョンという側面からも十分考えられると思うんですけど。

 

中村:テクノロジーの意味で言えばチューブ絵具の開発も大きいのかなと。

 

質問:そうですね。そういった面でいろいろ面白い話を聞けたなと思いまして。あと質問としては質感と色感を処理する脳の部位が同じV4であるっていうこと。

 

三木:それは、打ち合わせのメールに書いてあったことですね(笑)。
 質感の処理と色彩の処理みたいなものは研究がちょうどされてるところなんですが、人間と近いサルの色彩の処理は視覚野のV1、V2 、V4、IT(下側頭皮質)という段階で処理されています。V4で色彩が知覚されてるんじゃないかっていうのは、それこそセミール・ゼキさんというV4を発見した方が最初に考えていたのですが、それは後で違ったっていうことが分かってまして、サルのITあたる、紡錘状回まで至って色彩が知覚されてるっていうことは分かっています。ただV4が結構大きな役割果たしているっていうのは確かで、最近の質感の研究でも相当なものがV4で処理されているっていうのは分かっていて、かなり重なっているところもあると思います。

 

中村:質感と色彩を処理するところが近いんじゃないか、というのはさっきの肌の話なんかでも。

 

三木:だから、僕もはっきり。現在進行形だし、自分の専門じゃないんで。仮説ですね。元々その処理する部分が近いんじゃないかとは思っていました。例えば、質感に関していえば、我々は普段こういう木目のある机に対して絶対に色を塗らないですよね。素材感が失われるのが怖いのだと思います。でも、西洋人はペンキを塗りますよね。何でそんなことをするんだ我々からすると凄く乱暴な、入っちゃいけないところに入ってきた感覚を覚えますよね。何でそんなことをするんだって。

 

中村:もし大仏さんをまっ金金に塗られたらちょっとありがたみが減っちゃう雰囲気ありますよね。

 

三木:元々大仏はまっ金金でしたけどね。

 

中村:まっ金金だったのに、僕らは枯れた感じの方が良いと思ってる。あまり塗り直してほしくない。

 

岩泉:タイとか、中国とか、まっ金金に塗って。お寺でも赤、緑、青みたいな。感じに戻ってる

 

中村:もともと仏教って派手だものね。仏教が日本に伝来した頃はその派手さがすごくインパクトがあったんでしょうけど、今の僕たちは枯れた感じを尊ぶよね。

 

三木:日本人はてかてか塗ったやつがはげ落ちて材質が見えた時に、安心感を得る。塗料が塗られたら、素材が硬いか、柔らかいかっていう情報が消えてしまいますよね。だから、塗料がはがれて材質が把握できたら安心する、侘び寂びとかもそういうところに繋がってるんじゃないかなと。おそらく、色と素材を把握する脳を処理する部分は、ある程度被ってるんじゃないかっていうふうに思っていたんですね。ただ完全に被ってるわけではもちろんないので。それは本当に仮説にしかすぎないんですけど。このことについては引き続き研究したいなというふうには思ってます。


質問:今日はありがとうございました。私はホンダから来まして、カラーの専門じゃないんですけども内装のデザインをやってます。あとうちの会社で言うと、素材で言うと鉄と樹脂っていう感じで。最近で言うと日本の車で言うと、車によりますけども、ほとんど7、8割が白黒シルバーで、昔はもうちょっといろんな色の車が走ってたと思うんですけども、やっぱり家電化してるというか、あまり自分を主張するものではなくなってきていて、生活の中で家族がいるからミニバンにしようかとか、荷物運ぶからちょっと大きい目の車にしようかっていう感じになっちゃっていて、なんか街を見てて車いっぱい走ってますけど寂しいというかね、なんか。そういう感じがして、色がたくさん増えるといいなと思っているのと、やっぱり素材とか、質感というのも凄く我々課題かなと思っていて、樹脂なんだけど、なぜか革に見せようとしたりとか、金属に見せようとしたりとか、もう嘘じゃんそれみたいな。

 

中村:カニカマみたいな(笑)。

 

質問:樹脂使うんだったら樹脂の良さをもっと上手く出せば、魅力的になるだろうし、鉄板は鉄板でも凄く良いのがあるとか、もしくは車の外側でも別に鉄板に見せなくていいじゃないとか、他の素材でできてもいいんじゃないかとか。トヨタさんはジーンズでコンセプトカー作ってましたけど、そういうのもあってもいいんじゃないかとか、いろいろ色も含めて可能性をもっと探れるんじゃないかなというので、今日ここに来ていろんな話聞けて本当に良かったなと思います。

 

中村:ありがとうございます。もし他にありましたら、もう1人ぐらいは。

 

質問:画材メーカーのホルベインの者です。今日のお話だと西洋の絵画と日本の絵画、材料の前提があってというか、歴史があって醸成されたもののお話されてたところで、我々も西洋から移植してきたものを国内で製造してるメーカーとして、最後に中村先生が、でも国によってなんだと言って色があるわけじゃないですよねって話をされて、ちょっと勇気付けられるところもあったんですけど、途中で東洋の絵画と水の関係みたいなことをちょっと岩泉さんの方からあったんですが、西洋の絵画と水の関係みたいなことももし何かあるんだったら補足で伺いたらなと。

 

中村:まさに水と油なんじゃないですか。

 

岩泉:そうですね。水と油で。技法的に話になっちゃうんですけど、水使う上でやっぱ彼らは硬水だから使えないって分かっちゃうんですね。絵画に硬水は使えない。だからどうしたか。蒸留水を使うんですよ。フラスコでぐつぐつ煮て蒸留水を作りなさいって書いてある、技法書の一番最初に書いてあるんです。結局水で作れないから油になっていくわけです。ちょっと逸れますけど、僕はよく料理の話で比較するんですけど、軟水硬水でお料理の仕方が違うんですね。日本の軟水はおダシが出るんです。素材からおダシを引き出す。溶け出す文化なんです。西洋の場合は中に素材の中に旨味を閉じ込めるんですよね。こうすれば出て行かない。閉じ込められちゃうんですね。

 

中村:コーティングなんだ。

 

岩泉:そう。コーティングなの。それで、スープに他のものを入れて味をつける形の文化なので。そういう意味では油も閉じこめるって感じですよね。旨みを閉じ込めて描いてるって形になるので。あと、それこそホルベインの元技術部長から聞いたんですけど、油絵具の油も北と南で性能違うっていうんですよ。取る原料ですね。亜麻の種なんですけど。それも北で採ったやつと南で採ったやつで乾燥速度が違って。南のやつは乾燥しにくい。やっぱり暖かいので。北のやつが乾燥しやすいんですね。なんで、基本的にそういうものは北の方だっていうふうには言ってましたけど。そういうこともある程度は関係あるのかなと。

 

中村:やっぱり色彩と質感の地理学なんですね。他にありますでしょうか。どんどん出てきますね。

 

質問:僕は建築家で自分の事務所をやっているんですけども、さっき出た坂さん、隈さん、妹島さんはまさに僕の大学の先生なんですが、おっしゃるとおりだなって。僕はヨーロッパに何年かいたので、フランスの景観の話とか、本当にその通りだなって。僕が仕事をしていると面白いのはさっきの自動車の話もそうなんですけど、日本人はフェイクで素材を作るのにあんまり抵抗がないんですね。隈さんのことですし、ここのお店はちゃんとした木だと思うんですけど、突板、木目調シートとか、日本の住宅街はほとんど木のでこぼこのついた金属シートが漆喰かのように見せたパネルとかって貼れていて、そういうのの中でちゃんとした色の看板をつけましょうってなかなか難しいと思うんですよね。逆に京都の町屋街の中の本当の木と、本当の漆喰の中だったら、変な色の看板とか、もしかしたら出てこないかもしれないとか、ちょっと思いました。

 

中村:地というか基底材の問題なんだよね。

 

質問:三木さんにお伺いしたいのは、周りが嘘ばっかりの風景だったりするのと、ヨーロッパの先ほど出ていた風景なんかも人の手と物質がちゃんとそこに定着していて、瓦があって、石があって、漆喰があって、そういう風景の中での色の調停の取れた色の度合い、存在というのと、もしその分析の中で工業化、産業化した風景の中での調和の取れあいっていうのの違いとかを感じたことはありますか。

 

三木:今日はちょっとここには載ってないんですけど、景観分析の仕事も何回かしたんですよ。それこそ京都とかでしたんですけど、それはどういうふうに修景するか。修景っていうか、景観を修理、修める景です。やっぱりいろんな看板の色だとか、建物の色とかを馴染むようにするためにどうするかっていうので、やっぱり基本的には彩度がばーんと出てしまってるんですよね。日本の風景で悪目立ちするようなのは色相がーんとはみ出ている。日本の風景で悪目立ちするような

 

中村:靴流通センターみたいなやつとか。

 

三木:固有名詞とかはやめて(笑)。そういう形で空間から分離してるものがあるんですよね。それをシミュレーションで彩度高いものをぐっと落としていくと、それが消えていくわけなんですけど。そうすると、まとまった景観になることがよくあって、やっぱり彩度の調整の仕方とか、おそらく彩度も先ほど言ったように本当にきつい彩度ではなくて、明度を落としたりとかするとたぶん馴染むんじゃないかと思うんですけど。おそらく戦後の看板とか、そういう日本の看板に関していうとほとんど目立つためにやっているので、原色に近いし、原色以外の色ってなかなか使えないんですよね、日本人の感性的には。

 

中村:ガンダムになると。

 

三木:ガンダムになるんですよ。いくつか考え方があると思っていて、なぜその看板になるのかっていうのは。純色好きなのは好きだと思うんですよ。混ざったのよりも実はそのまま色が結構好きなんじゃないか。だから、そんなに実は気持ち悪くないんじゃないかってね。僕なんか気持ち悪くなるけど。あと、看板の色って素材感ってそもそもよく分からないですよね。何に塗っているか分からない。だから、その素材感が分からないものには、色がつくことに関してそんなに抵抗感がないんではないかとかね。

 

中村:なるほど。面白いですね。

 

三木:とか、あとプラスチックの色結構使ったりしてくる。プラスチックはああいう彩度の高い、あれ自体が1つの素材感、素材感と色がくっ付いてるから、抵抗感がないんじゃないかとか、いろいろ思ったりしますね。今日はきゃりーぱみゅぱみゅとかのアートディレクターしてた増田セバスチャンさんのマネージャーの方が来るって言うことで、日本での色が駄目だみたいなことを言ったら怒られるかなと思ってたんですが、用事で来られなかったようです。
僕は、増田さんなんかはプラスチックなんか結構使っているので、色を使ってるんじゃなくて素材を使ってるという認識を僕はしてるんですよ。だから、原色の看板を見て、何とかしろと思わないのは実は素材の材質感というものと繋がってるのかも知れません。

 

中村:ケミカル感、好きかもしれないですね。ガンダムも模型はプラスチックモデルだし。

 

三木:という気はしてます。やっぱり連続性がいっぺん戦後に分断されたっていうこともあって、徐々に鮮やかな色を受容する過程がもっとあれば良かったんですけど。戦前でそれがまた絶たれて、大正ぐらいにわりと色を使えるようになったんだけど、戦争でモノトーンになって、戦後また鮮やかになったので、色を使えこなせないのまま現在に至るっていう。だから、話せない言葉を使っている感じもします。いくつかの要因があると思うんですよね。

 

中村:これは時間が解決するんでしょうか。

 

三木:結構難しいところですね。ランクロさんの『世界の色』の中では、最後に瀬戸内海の町の漁村で終わるんですけど、それも美しいと。では、こういうふうにケミカルなものがどんどん乱立した中で、時間が経てばそれを使いこなせるようになるのかって言われると、ちょっとどうなんだろうって感じしますね。答えになってないですが。


質問:ただでも、僕が最近思ってるのは、例えば、地方の農家さんと話して、この色ちょっとこうしただけでちょっと落ち着くし、でもちゃんとアピールできる看板と思うんですよね、ということを言うと、凄く納得してくれたりして。何ていうか、盲目的になって目立とう目立とうとしているわけで、実はもうちょっとバランスを考えた上で、しかし目立てるってことがあるっていうのをみなさん気づいていない。

 

中村:啓蒙の問題なのかな。

 

三木:だから、それも啓蒙の問題があって、目立った上でしかも馴染むんだという方法を知らないっていうのはあると思うんですよね。だから、それは1つ彩度、色相間の原色をちょっとずらすとか、明度を少し落とすとか、そういう方法でも十分目立つし、環境とも馴染ませてそういうことができるよってことをもっと啓蒙してもいいとはもちろん思ってます。

 

中村:やっぱりデザイナーなりを尊重して欲しいなって思いますけど。プロいるんだってこと。

 

質問:そう思います。大きな声で言ってほしいなと思いました。

 

中村:そういう専門家がいるんだってことですよね。

 

質問:信じたいです。ありがとうございます。


中村:それでは最後、PIGMENTからということで、岩泉さんからお願いします。

 

岩泉:はい。そうですね。特に今回の話で何かがまとまったってわけではないんですが、これを踏まえて続けてやっていきたいと思っています。また次回機会があればみなさま来ていただけるとありがたいですね。今日はどうもみなさんありがとうございました。

 

|← 産業界との関連(自動車や化粧品業界などにおける色彩の研究&ファッション)

 

| <トークイベント1>色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって |


■芸術色彩研究会ウェブサイト
■カテゴリー
■トークイベント「色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって−」
■芸術色彩研究会とは
芸術色彩研究会(芸色研)は、芸術における色彩に関する研究を行い、色彩から芸術やその奥にある感覚や認知、感性を読み解き、実践的な創作や批評に活かすことを目指します。ここで指す色彩は、顔料や染料、あるいはコンピュータなどの色材や画材だけではなく、脳における色彩情報処理、また素材を把握し、質感をもたらす要素としての色彩、あるいは気象条件や照明など、認知と感性に大きな影響を及ぼす色彩環境を含むものであり、芸術史を感覚史的に読み直すことでもある。創造行為としての芸術は、環境と脳を含む身体の不断のフィードバッグの成果であり、芸術色彩研究会(芸色研)では、その情報交換を読み解く鍵として色彩を位置付けていく。
http://geishikiken.info

links