芸術色彩研究会

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色彩と質感の地理学−日本と画材をめぐって (11)

まとめ


 

中村:ということで、最後に今まで話してきたことを踏まえて、三木さんのソフトを使って具体的に絵画作品の色彩分析をしたいのですが。

 

三木:参考文献がないと、著作権的に問題なので、こちらの画像にしましたけど。

 

図31

藤田嗣治《猫と横たわる裸婦と猫》(1911)の色立体分布 『藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画』中日新聞社、p.89より

 

図32

藤田嗣治《猫と横たわる裸婦と猫》(1911)の色名分析

 

 

中村:最初に話したフジタの作品をちょっと分析してみようっていうことですね。

 

三木:もうほとんどね、色相の範囲がもの凄く微妙で。

 

中村:色はないです。

 

三木:ほぼないですね。それでちょうど白いところも凄く狭いですね。明度が少しあるくらいで。おそらくこれはもう後で仮説のお話しますけど、材質を見せるためにやってるんじゃないかという気はしますね。なんだっけ。なんか赤ちゃんのパウダー。

 

岩泉:タルクですね。

 

三木:という感じ。

 

中村:ちょっと胡粉みたいな感じもありますけどね。つまりこの場合は画像だけを見ても、この絵の魅力っていうものがほとんど分からないといっていいのかもしれない。

 

三木:そうですね。たぶん、生で見るものなんでしょうね。

 

中村:ただやっぱりこの画像だけを見て、この絵が痩せた絵に見るかっていうとそうでもない。ちゃんと豊かなものに見えますけどね。それはどこかで互換してるのかもしれないし、ちょっと分からないですけど。

 

三木:そうですね。で、これ肌の色と質の。これも後で比較しますけど、ちょっとフジタの絵の肌って緑がかってて、ちょっと病気っぽい。

 

中村:その辺ってヨーロッパの人がそういうの好きだからっていうのがあるのかな。

 

三木:いや、たぶん違うと思います。

 

中村:フジタ個人のやり方だと。

 

三木:だから、クラーナハを見てると赤よりになるし、もっと高彩度ですね、クラーナハでも、あんまり西洋的なというか、立体的な画家じゃないにも関わらずです。

 

図33

クラーナハ《眠れる女》(1931)の色立体分布

 

図34

クラーナハ《眠れる女》(1931)の色名分析

 

 

岩泉:今ちょっとふと思った。もし質感で、展示する場所までフジタが考えてたとしたら、あえて緑色よりにすることで、もしこういう白熱色で…。

 

中村:黄色い光ですか。

 

岩泉:に合わせてちょうどフィットするようにしたとしたら補色だからちょうどいいのかなって一瞬思っちゃったんですけど。

 

中村:当時はまだ蛍光灯とかあんまりなさそうだし。

 

三木:どういう環境で見てたんでしょうね。気になりますね。ティッツァーノなんかもやっぱり素材も似ているし、色相も緑なんですけど、明度幅が大きいですね。

 

図35

ティッツァーノ《フローラ》(1515年頃)の色立体分布

 

図36

ティッツァーノ《フローラ》(1515年頃)の色名分析

 

 

中村:色の構成、3枚とも同じだけどこんだけ違うんだ。

 

三木:結構、違うんですよね。ただわりと立体的に描いてるのは描いてるってことですね。その辺がね、ルネッサンスでもイタリアとドイツと。


中村:そうですね。やっぱりイタリアの方が色彩的には強いイメージありますが。では、僕の絵を見てもらえますか。

 

三木:これ中村さんの《Without Me》っていう作品ですけど(図37、38)。所謂、その西洋的な補色を使っていうのは全然ないですね。やっぱりその色相環の対比っていうようなことが意識されてるわけではないし、トーンに関してもそれがまとまってたりとか、それと対比されるっていうふうにも見えないし。いわゆる、西洋の配色ではあんまりその調和してないとされるような関係なんで。

 

図37

中村ケンゴ《Without Me》の色立体分布

 

 

図38

中村ケンゴ《Without Me》の色名分析

 

 

中村:そう言われると確かに調和してないなっていうのがよく分かりますね。こういう分析を初めてしてもらったんですけど、色のバランスは見てはいるのですが、明度と彩度に関してはあまり意識していなかったことが今回分かりました。というか調和させようという意図が元々ないともいえます。最近はモニター上で、RGBで色を見ているということも何か影響があるのかなとも思っています。

 

三木:モニターの影響は結構あると思いますよ。だから、写真なんかで写真作家の分析もしますけど、やっぱどんどんどんどん彩度が高くなってる。

 

中村:デジタルカメラの色になっていくんですね。カメラの場合はテクノロジーの問題もあるけども、絵画の場合は絵具なので、その色がモニター上の色を参照してるってことは、僕の場合は十分にあるので。僕だけじゃなく結構強い色使う画家が増えてきていると感じるのは、そういう影響はあるんじゃないかな。

 

三木:中村さんのやつなんかは日本の色名で抽出したらこんな感じですけど。ただね、割合として全部少ないですね。

 

中村:岩絵具使ってるのにね。

 

三木:そうそう。それはさっき岩泉さんともお話しましたけど、明治以降にかなり西洋のビビットの色を意識して、ビビットにしていったっていう傾向があると思う。

 

中村:さっきも言ったように油絵の影響を受けて日本画ってできてますからね。

 

三木:だから、フランス式の方が色がでますね。もうこっちの赤なんかもうほとんど全部こんなんですからね。

 

中村:僕の絵に「ルー・ドゥ・ブリュス」入ってるのか!

 

三木:パーセンテージを見てくださいよ。ちょっとしか入ってない(笑)。

 

中村:なるほどね(笑)。でも、面白いですね。

 

三木:だから、やっぱり中村さんの絵なんかは元々の色彩感覚なんかは日本だけども、西洋的な色とか画材を使ってるって感じですかね。

 

中村:なるほど。日本の絵画と西洋の絵画の違いというのはどの辺になってくると言えますかね。

 

三木:僕の個人的な意見はですね、一応絵画を定義すると今は少し事情が違うかもしれませんけど、平面の視覚情報で現実感を人工的に作る、ということだと思います。

 

中村:外在する世界を二次元に再現するってことですよね。

 

三木:現実感ですよ。現実ではないです。で、たぶんこういう関係だろうと。色覚は質感の中ですね。

 

中村:質感が先なんですね。

 

三木:照明環境、表面の色、表面の形状からなる材質から質感の関係があると。日本画の質感ということを言うと質感といっても二つあって、素材の質感は材質感で、錯視、イリュージョンの質感っていうのと分けて考えるべきだろうと。
 それによって日本画の質感があるんですけども。日本の質感の感覚っていうのはおそらく素材の質感を重要視する方法だと思いますね。素材の質感を有効に使う表現方法であるのではないかという仮説が考えられます。フジタなんかの作品でも、そのパウダーとか分かりませんけど、絵画なんだけど、ぐっと素材そのものの質感が現れてくるような。

 

中村:裸婦を描いてはいるんだが、肌を表すと同時に絵画としての質感も表していると。

 

三木:そうです。だから、そのイリュージョンとして再現してるというよりも、素材そのものが魅力を出してるっていう方法なんじゃないかなと最近は思っています。だから、結論としては、西洋画のようなよう質感の再現、錯覚表現ではないと。

 

中村:イリュージョンによって現実感を表すというよりは、目に見える、絵具の即物的な面がそのまま見えてくる。

 

三木:そのものですね。これは画材の魅力ということで、ここは画材屋さんなので、最後に画材のプロモーションしないといけないということで(笑)。ここに落とし込まなきゃいけないということを逆算して考えたことではありますけど。

 

中村:それ言っちゃお終いのような気がしますが(笑)。でも、面白い意見をいただいたと思うので、僕も作家仲間とこの話はしてみたいなと思います。ということで、作品分析の中から三木さんに日本の絵画の特質みたいなことを提示していただきましたけども、最後にそれぞれ一言ずつ。岩泉さん、いかがでしたでしょうか。

 

岩泉:そうですね。なんか逆に今の三木さんの補足っていうか、補強になるかもしれない。材質感っていうのは実はそれこそ本当たまたまなのかもしれないですけど、特に顔料ですね。顔料を使う上で混ぜるバインダーで色変わっちゃうんですね。例えば、膠だったり、油だったり、アクリルだったり、アラビアゴムだったり。


中村:どういうメディウムを使うかで。

 

岩泉:全部変わっちゃうんですよね。そういった意味では特に所謂日本で一番使われてる膠は、本当に所謂材質感、本来の物が一番現れる仕組みになってるんですよね。油画はすべてを油でコーティングしてしてしまって、油が表面質感でしょ。だから言ったら、さっきも言ったからちょっといいですか、モトヨシさんのやつ分かりやすいです。あれいいなってちょっと思ったんですけど。

 

三木:これ。

 

岩泉:これですね。そういう意味では要は全部油の質感でコーティングしてしまって、そういう意味では顔料を均一化させるんですね。均一した質感にして要は錯視を生むようなことができるんです。逆に膠ってなると、特に材質感がもろにでちゃうんですね。どう頑張っても。なので、そう考えていくと材質感をいかに見せてやってくかってことにも繋がってくるので。

 

中村:基底になる紙とか、シルクであるとか、そういうものがそのまま見えてきてしまうということですね。

 

岩泉:そこでの対比感とか、やっぱり後は基本的にはどっちかというと、調度というか、置物って、やっぱり襖絵とかだとインテリアとしての役割が強かったので、そこでの空間において合うか合わないかっていう話にもなってくるので。

 

中村:そもそもファインアートじゃないものね。近代以前の日本のものは。

 

岩泉:そうそう。金箔の絵画もですね、当時は暗い中で光を増幅する装置としての金箔なので、やっぱりそう考えてくと材質感を生かした絵が描かれてるってだけで、本当に偶然っちゃ偶然なのかもしれないですけど。そういうのをみなさん見てきたからこそ、素材として発達してきたのかなと。

 

中村:僕からは少し概念的な話になるかもしれませんが、最初に紹介したランクロ夫妻の「色彩の地理学」では、ランクロさんたちがフランスの地方の色というのをずっと調べていくわけですよね。それぞれの地方に様々な色があって、それはフランス全体の色を形作ってるけれども、「フランスの色」というものはない。それは「日本の色」というのもないということだとも思います。明治期、日本画が誕生したばかりの頃は、「ローカルカラー」という、つまり国家を表す色とは何かという、極めて政治的な議論があったのですが、沖縄と京都と北海道の色が同じわけがないと。色というものは、風土、そこで育まれた文化との関わりの中で生まれた、それぞれの土地独自のものがあって、モダンアートでもその影響を考えることは重要である思いました。
 一方でそして岩泉さんから、絵具はじめとする画材の組成を見せてもらいましたが、そうした画材を合理的、科学的な視点で見てみると、その元々は鉱物であったり、ガラスであったり、そういうものですよね。そしてメディウムにも様々な性質がある。そこから即物的に具体的に、その性質から何ができるかってことも考えらるわけですね。そういう視点から今規定されているジャンルの形式に捉われないかたちで絵画が作れるし、作られているとも思いました。

 

三木:今回中村さんからこういう話をいただいて、僕が画材とか、色彩とかそういうもの専門ではないですけど。日本画、日本絵画の魅力みたいなものが何かってことを再び考えるようになって凄く興味深かったです。やっぱりそれなりに日本人とか、日本の地域性みたいなものが持ってる特長はあると思いますし、その上のそれだけじゃない日本の地域性を越えたものもあると思います。質感の研究は現在進行形のものですから、できればいろんな方に参加していただいて発展させていければいいのかな。

 

中村:視覚の認知、質感の研究というのはまだ始まったばかり。

 

三木:そうですね。特に芸術に関してこういう工学的、認知科学的アプローチっていうのは非常に少ないですから。

 

中村:僕も今回初めてですね。この企画やってみて非常にそこが面白かったなと思います。ただそういう意味ではまだ仮説が多いってことですよね。

 

三木:仮説は多いです。

 

中村:ということはここで議論を終わらせてしまうともったいないと。

 

三木:そうですね。ですから、セミール・ゼキさんっていうロンドン大学の有名な神経生理学者がいて、モダンアートの分析などもしてますけど、そういうような本当に最先端の研究者とアーティストなんかが組んで新しいことを発見していければ面白いんじゃないかなと。

 

中村:今日の話は本当に仮説が多いので、できればみなさんにもこの議論に参加していただいて、SNSでもいいですし、いろんなところから突っ込みをいただきながら、この議論続けていければと考えています。多くの方のお力をお借りして仮説を証明できる方向に進められればと。

 

三木:そうですね。結構、専門の方もお呼びして。

 

中村:ということで、最後に質疑応答の時間取りたいと思います。ご質問、ご意見あれば。

 

質問:今日はスタッフとして聞かせていただいたんですけど。日本人のつや消しと光沢が明治以降輸出されたみたいなお話とか、いろいろ興味深いお話があったんですけど、自分は専門が油絵なので、その観点から、油絵もやっぱりルネサンスの頃は凄く艶があるニスなんかを多く塗って、光沢のある画面にしてたんですけど、やっぱり美術史の流れの中で印象派の時代になると、そういった過去の歴史を乗り越えていく過程の中で蜜蝋というつや消し成分を含ませてマットにしていくっていうような部分があったりして、欧米人は欧米人でそういった形でつや消しと光沢っていうのを1つ考えてた部分があるんじゃないかなというのがありました。その観点からもう1つあげると、ルネサンスの頃の油絵と近代になるにつれて描かれる油絵ってちょっと描かれ方が異なっていまして、昔は石膏を地塗りした白い画面に、当時の油絵具あんまり厚塗りができなかったっていう側面があったので、その素材感を生かして薄く薄く重ねていって、最終的に現れる画面上でもちょっと石膏上の地塗りが透けて見えるような。クラーナハの時代もちょっとそういったところがあったんですね。で、ルネサンスから印象派になってくると、そういった面でも筆致ですね、あえてそれらを合わせていって、イリュージョンという側面からも十分考えられると思うんですけど。

 

中村:テクノロジーの意味で言えばチューブ絵具の開発も大きいのかなと。

 

質問:そうですね。そういった面でいろいろ面白い話を聞けたなと思いまして。あと質問としては質感と色感を処理する脳の部位が同じV4であるっていうこと。

 

三木:それは、打ち合わせのメールに書いてあったことですね(笑)。
 質感の処理と色彩の処理みたいなものは研究がちょうどされてるところなんですが、人間と近いサルの色彩の処理は視覚野のV1、V2 、V4、IT(下側頭皮質)という段階で処理されています。V4で色彩が知覚されてるんじゃないかっていうのは、それこそセミール・ゼキさんというV4を発見した方が最初に考えていたのですが、それは後で違ったっていうことが分かってまして、サルのITあたる、紡錘状回まで至って色彩が知覚されてるっていうことは分かっています。ただV4が結構大きな役割果たしているっていうのは確かで、最近の質感の研究でも相当なものがV4で処理されているっていうのは分かっていて、かなり重なっているところもあると思います。

 

中村:質感と色彩を処理するところが近いんじゃないか、というのはさっきの肌の話なんかでも。

 

三木:だから、僕もはっきり。現在進行形だし、自分の専門じゃないんで。仮説ですね。元々その処理する部分が近いんじゃないかとは思っていました。例えば、質感に関していえば、我々は普段こういう木目のある机に対して絶対に色を塗らないですよね。素材感が失われるのが怖いのだと思います。でも、西洋人はペンキを塗りますよね。何でそんなことをするんだ我々からすると凄く乱暴な、入っちゃいけないところに入ってきた感覚を覚えますよね。何でそんなことをするんだって。

 

中村:もし大仏さんをまっ金金に塗られたらちょっとありがたみが減っちゃう雰囲気ありますよね。

 

三木:元々大仏はまっ金金でしたけどね。

 

中村:まっ金金だったのに、僕らは枯れた感じの方が良いと思ってる。あまり塗り直してほしくない。

 

岩泉:タイとか、中国とか、まっ金金に塗って。お寺でも赤、緑、青みたいな。感じに戻ってる

 

中村:もともと仏教って派手だものね。仏教が日本に伝来した頃はその派手さがすごくインパクトがあったんでしょうけど、今の僕たちは枯れた感じを尊ぶよね。

 

三木:日本人はてかてか塗ったやつがはげ落ちて材質が見えた時に、安心感を得る。塗料が塗られたら、素材が硬いか、柔らかいかっていう情報が消えてしまいますよね。だから、塗料がはがれて材質が把握できたら安心する、侘び寂びとかもそういうところに繋がってるんじゃないかなと。おそらく、色と素材を把握する脳を処理する部分は、ある程度被ってるんじゃないかっていうふうに思っていたんですね。ただ完全に被ってるわけではもちろんないので。それは本当に仮説にしかすぎないんですけど。このことについては引き続き研究したいなというふうには思ってます。


質問:今日はありがとうございました。私はホンダから来まして、カラーの専門じゃないんですけども内装のデザインをやってます。あとうちの会社で言うと、素材で言うと鉄と樹脂っていう感じで。最近で言うと日本の車で言うと、車によりますけども、ほとんど7、8割が白黒シルバーで、昔はもうちょっといろんな色の車が走ってたと思うんですけども、やっぱり家電化してるというか、あまり自分を主張するものではなくなってきていて、生活の中で家族がいるからミニバンにしようかとか、荷物運ぶからちょっと大きい目の車にしようかっていう感じになっちゃっていて、なんか街を見てて車いっぱい走ってますけど寂しいというかね、なんか。そういう感じがして、色がたくさん増えるといいなと思っているのと、やっぱり素材とか、質感というのも凄く我々課題かなと思っていて、樹脂なんだけど、なぜか革に見せようとしたりとか、金属に見せようとしたりとか、もう嘘じゃんそれみたいな。

 

中村:カニカマみたいな(笑)。

 

質問:樹脂使うんだったら樹脂の良さをもっと上手く出せば、魅力的になるだろうし、鉄板は鉄板でも凄く良いのがあるとか、もしくは車の外側でも別に鉄板に見せなくていいじゃないとか、他の素材でできてもいいんじゃないかとか。トヨタさんはジーンズでコンセプトカー作ってましたけど、そういうのもあってもいいんじゃないかとか、いろいろ色も含めて可能性をもっと探れるんじゃないかなというので、今日ここに来ていろんな話聞けて本当に良かったなと思います。

 

中村:ありがとうございます。もし他にありましたら、もう1人ぐらいは。

 

質問:画材メーカーのホルベインの者です。今日のお話だと西洋の絵画と日本の絵画、材料の前提があってというか、歴史があって醸成されたもののお話されてたところで、我々も西洋から移植してきたものを国内で製造してるメーカーとして、最後に中村先生が、でも国によってなんだと言って色があるわけじゃないですよねって話をされて、ちょっと勇気付けられるところもあったんですけど、途中で東洋の絵画と水の関係みたいなことをちょっと岩泉さんの方からあったんですが、西洋の絵画と水の関係みたいなことももし何かあるんだったら補足で伺いたらなと。

 

中村:まさに水と油なんじゃないですか。

 

岩泉:そうですね。水と油で。技法的に話になっちゃうんですけど、水使う上でやっぱ彼らは硬水だから使えないって分かっちゃうんですね。絵画に硬水は使えない。だからどうしたか。蒸留水を使うんですよ。フラスコでぐつぐつ煮て蒸留水を作りなさいって書いてある、技法書の一番最初に書いてあるんです。結局水で作れないから油になっていくわけです。ちょっと逸れますけど、僕はよく料理の話で比較するんですけど、軟水硬水でお料理の仕方が違うんですね。日本の軟水はおダシが出るんです。素材からおダシを引き出す。溶け出す文化なんです。西洋の場合は中に素材の中に旨味を閉じ込めるんですよね。こうすれば出て行かない。閉じ込められちゃうんですね。

 

中村:コーティングなんだ。

 

岩泉:そう。コーティングなの。それで、スープに他のものを入れて味をつける形の文化なので。そういう意味では油も閉じこめるって感じですよね。旨みを閉じ込めて描いてるって形になるので。あと、それこそホルベインの元技術部長から聞いたんですけど、油絵具の油も北と南で性能違うっていうんですよ。取る原料ですね。亜麻の種なんですけど。それも北で採ったやつと南で採ったやつで乾燥速度が違って。南のやつは乾燥しにくい。やっぱり暖かいので。北のやつが乾燥しやすいんですね。なんで、基本的にそういうものは北の方だっていうふうには言ってましたけど。そういうこともある程度は関係あるのかなと。

 

中村:やっぱり色彩と質感の地理学なんですね。他にありますでしょうか。どんどん出てきますね。

 

質問:僕は建築家で自分の事務所をやっているんですけども、さっき出た坂さん、隈さん、妹島さんはまさに僕の大学の先生なんですが、おっしゃるとおりだなって。僕はヨーロッパに何年かいたので、フランスの景観の話とか、本当にその通りだなって。僕が仕事をしていると面白いのはさっきの自動車の話もそうなんですけど、日本人はフェイクで素材を作るのにあんまり抵抗がないんですね。隈さんのことですし、ここのお店はちゃんとした木だと思うんですけど、突板、木目調シートとか、日本の住宅街はほとんど木のでこぼこのついた金属シートが漆喰かのように見せたパネルとかって貼れていて、そういうのの中でちゃんとした色の看板をつけましょうってなかなか難しいと思うんですよね。逆に京都の町屋街の中の本当の木と、本当の漆喰の中だったら、変な色の看板とか、もしかしたら出てこないかもしれないとか、ちょっと思いました。

 

中村:地というか基底材の問題なんだよね。

 

質問:三木さんにお伺いしたいのは、周りが嘘ばっかりの風景だったりするのと、ヨーロッパの先ほど出ていた風景なんかも人の手と物質がちゃんとそこに定着していて、瓦があって、石があって、漆喰があって、そういう風景の中での色の調停の取れた色の度合い、存在というのと、もしその分析の中で工業化、産業化した風景の中での調和の取れあいっていうのの違いとかを感じたことはありますか。

 

三木:今日はちょっとここには載ってないんですけど、景観分析の仕事も何回かしたんですよ。それこそ京都とかでしたんですけど、それはどういうふうに修景するか。修景っていうか、景観を修理、修める景です。やっぱりいろんな看板の色だとか、建物の色とかを馴染むようにするためにどうするかっていうので、やっぱり基本的には彩度がばーんと出てしまってるんですよね。日本の風景で悪目立ちするようなのは色相がーんとはみ出ている。日本の風景で悪目立ちするような

 

中村:靴流通センターみたいなやつとか。

 

三木:固有名詞とかはやめて(笑)。そういう形で空間から分離してるものがあるんですよね。それをシミュレーションで彩度高いものをぐっと落としていくと、それが消えていくわけなんですけど。そうすると、まとまった景観になることがよくあって、やっぱり彩度の調整の仕方とか、おそらく彩度も先ほど言ったように本当にきつい彩度ではなくて、明度を落としたりとかするとたぶん馴染むんじゃないかと思うんですけど。おそらく戦後の看板とか、そういう日本の看板に関していうとほとんど目立つためにやっているので、原色に近いし、原色以外の色ってなかなか使えないんですよね、日本人の感性的には。

 

中村:ガンダムになると。

 

三木:ガンダムになるんですよ。いくつか考え方があると思っていて、なぜその看板になるのかっていうのは。純色好きなのは好きだと思うんですよ。混ざったのよりも実はそのまま色が結構好きなんじゃないか。だから、そんなに実は気持ち悪くないんじゃないかってね。僕なんか気持ち悪くなるけど。あと、看板の色って素材感ってそもそもよく分からないですよね。何に塗っているか分からない。だから、その素材感が分からないものには、色がつくことに関してそんなに抵抗感がないんではないかとかね。

 

中村:なるほど。面白いですね。

 

三木:とか、あとプラスチックの色結構使ったりしてくる。プラスチックはああいう彩度の高い、あれ自体が1つの素材感、素材感と色がくっ付いてるから、抵抗感がないんじゃないかとか、いろいろ思ったりしますね。今日はきゃりーぱみゅぱみゅとかのアートディレクターしてた増田セバスチャンさんのマネージャーの方が来るって言うことで、日本での色が駄目だみたいなことを言ったら怒られるかなと思ってたんですが、用事で来られなかったようです。
僕は、増田さんなんかはプラスチックなんか結構使っているので、色を使ってるんじゃなくて素材を使ってるという認識を僕はしてるんですよ。だから、原色の看板を見て、何とかしろと思わないのは実は素材の材質感というものと繋がってるのかも知れません。

 

中村:ケミカル感、好きかもしれないですね。ガンダムも模型はプラスチックモデルだし。

 

三木:という気はしてます。やっぱり連続性がいっぺん戦後に分断されたっていうこともあって、徐々に鮮やかな色を受容する過程がもっとあれば良かったんですけど。戦前でそれがまた絶たれて、大正ぐらいにわりと色を使えるようになったんだけど、戦争でモノトーンになって、戦後また鮮やかになったので、色を使えこなせないのまま現在に至るっていう。だから、話せない言葉を使っている感じもします。いくつかの要因があると思うんですよね。

 

中村:これは時間が解決するんでしょうか。

 

三木:結構難しいところですね。ランクロさんの『世界の色』の中では、最後に瀬戸内海の町の漁村で終わるんですけど、それも美しいと。では、こういうふうにケミカルなものがどんどん乱立した中で、時間が経てばそれを使いこなせるようになるのかって言われると、ちょっとどうなんだろうって感じしますね。答えになってないですが。


質問:ただでも、僕が最近思ってるのは、例えば、地方の農家さんと話して、この色ちょっとこうしただけでちょっと落ち着くし、でもちゃんとアピールできる看板と思うんですよね、ということを言うと、凄く納得してくれたりして。何ていうか、盲目的になって目立とう目立とうとしているわけで、実はもうちょっとバランスを考えた上で、しかし目立てるってことがあるっていうのをみなさん気づいていない。

 

中村:啓蒙の問題なのかな。

 

三木:だから、それも啓蒙の問題があって、目立った上でしかも馴染むんだという方法を知らないっていうのはあると思うんですよね。だから、それは1つ彩度、色相間の原色をちょっとずらすとか、明度を少し落とすとか、そういう方法でも十分目立つし、環境とも馴染ませてそういうことができるよってことをもっと啓蒙してもいいとはもちろん思ってます。

 

中村:やっぱりデザイナーなりを尊重して欲しいなって思いますけど。プロいるんだってこと。

 

質問:そう思います。大きな声で言ってほしいなと思いました。

 

中村:そういう専門家がいるんだってことですよね。

 

質問:信じたいです。ありがとうございます。


中村:それでは最後、PIGMENTからということで、岩泉さんからお願いします。

 

岩泉:はい。そうですね。特に今回の話で何かがまとまったってわけではないんですが、これを踏まえて続けてやっていきたいと思っています。また次回機会があればみなさま来ていただけるとありがたいですね。今日はどうもみなさんありがとうございました。

 

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